2020年04月29日

「緊急事態宣言の解除」よりも重要な「人間の恐怖心の解除」


■「緊急事態宣言」は解除されるか?

 「緊急事態宣言は解除されるか?」、現状、それが多くの国民の最大の関心事かもしれない。
 企業経営者や会社員、自営業者を含め、社会で何かしらの生業を持って生活している人にとっては、コロナの終息時期よりも、現在の自粛生活がいつ頃、解除されるのかということの方がより強い関心事に成りつつあるのではないかと思う。

 では、当初、政府が約束した通り、5月6日で緊急事態宣言が解除されるかというと、極めて厳しいと思われる。既に全国知事会も緊急事態宣言の延長を政府に打診したとも伝えられているので、ほぼ延長は確定と言える。

 感染者数の増加ペースは政府の予想よりもかなり低い状態が維持されているので、結果的には、緊急事態宣言を発令しなくても、あまり変わらなかったとも言えるのだが、「現在の小康状態は、緊急事態宣言のお蔭だ」と思い込んでいる人も多くいると思われるので、なおさら難しい。

 彼らの頭にあるのは、自分が感染しないことが最優先事項であり、感染者の増加ペースがどうのこうの、緊急事態宣言の有無や因果関係がどうのこうのと言ったところでまるで受け付けない。
 この辺は、かつての反原発ヒステリーと同じようなものだと言える。原発と違って、今回の場合は、実際に目に見える形で被害者も出ているので尚更、感情的になる人々が多くなる傾向にある。
 かつて反原発を批判していたような人でも、自分自身に被害が及び、どこにも逃げ場が無いとなると、180度、考えを変えるというようなことも有り得る。

■「コロナによる自粛生活」vs「人間による経済活動」

 アメリカを始め、欧米では、日本の緊急事態宣言以上のロックダウン措置を採っているにも拘らず、日本以上に感染者は多い。それでも、経済活動をこれ以上止めることはできないという危惧から、徐々に経済活動を再開する動きに転じている。

 日本の場合は、緊急事態宣言を出すまでもなく、自粛の要請だけでも充分に感染者数を抑制できていたと思われるので、これ以上、ナーバスに成り過ぎても、国としても余計に疲弊するだけだと思われるのだが、感染者数を0にしなければ気が済まないというような人がいる限り、緊急事態宣言を引っ込めるのはなかなか難しい。

 この状況で、緊急事態宣言を引っ込めるということは、巨大な責任を背負うことに他ならないので、政府の他にその責任を転嫁する勢力が出てこない限り、現在の弱腰政府では解除は極めて難しいと思う。
 それこそ、政治生命を賭けて「緊急事態宣言を解除する」と言えるような骨のある政治家がいれば、たとえ失敗しても応援したくもなるのだが、あまり期待できそうにない。

 この問題は、最終的には「コロナによる自粛生活」と「人間による経済活動」のどちらを優先するか?という問題に行き着いてしまうことになる。
 現状は前者を取らざるを得ない状況となっているが、いずれは、後者を取る人が多数を占めるようになってくると思われる。そうしないと、コロナに感染する以前に人間としての生活を維持できなくなってしまうからだ。
 
 しかし、もはや、政府が方針を変えるかどうかは関係が無くなっているとも言える。
 政府が緊急事態宣言を停止しても、自粛の要請を停止しても、肝心の人間自体が自粛を止めて動こうと思わない限り、経済は復活しない。

 既に多くの人々の心に刷り込まれてしまった“恐怖”は、並大抵のことでは解除できない。今後、本当に解除していかなければならないのは、政府の緊急事態宣言でも自粛要請でもなく、いつの間にか人間の心の奥深くに住み着いてしまった“恐怖心”なのかもしれない。
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posted by 自由人 at 16:59 | Comment(0) | 社会問題
2020年04月26日

新型コロナウイルスの常識破壊【8時間労働編】


■2週間のゴールデンウィークが明けると…

 現在は「緊急事態宣言」真っただ中ということもあり、休業や時短、テレワーク等を取り入れている企業が多いせいか、社会全体としての仕事量が激減している。人もお金もまともに動いていないわけだから、これは当然の結果なのだが、それでも多くの企業では今まで通りの勤務を続けている。通常時の仕事量が確保できずに手が空いているにも拘らず、相も変わらず、8時間勤務を踏襲している。

 企業にしてみれば、現在の状態は一時的なものであり、手持ち無沙汰な状況は今だけであり、緊急事態宣言が解除され、コロナが終息していけば元通りになるというような甘い見通しを抱いているのかもしれない。

 今年のゴールデンウィークは、既に始まっている企業もあり、4月25日から2週間の連休という企業も結構あるらしい。そう考えると今週は出勤にしている企業でも仕事はほとんど無い状態だろうと思う。
 この長い2週間のゴールデンウィークが明ければ、目出たく緊急事態宣言が解除されて仕事量も元通り、そんな甘い考えを本気で抱いているのだとすれば、あまりにもオメデタイと言うしかない。

 リスクや批判を何よりも恐れる政府は、多少、感染者が減少したとしても1度出された緊急事態宣言を簡単には解除しないと思う。民間企業側から「緊急事態宣言を解除しろ」という声が大きくならない限り、この状況は変わらないだろう。
 当然、ゴールデンウィークが明けても現在の手持ち無沙汰な仕事状況は維持される…と言うよりも、ますます仕事量が減少するものと思われる。

 そんな状態でも、企業経営者はこれまでと同じように従業員に8時間勤務を強いるのだろうか? どうせ同じ給料(月給)を支払うのだから、仕事が無くて暇でも会社に居てもらおうと考えるのだろうか?

■「8時間労働教」の終焉

 おそらく、現在のコロナパニック(注:コロナウイルスのことではない)を人為的に抑えようとしない限り、そのような旧い考え方は、根本的に改めなければ、この先、多くの企業は生き残っていけないのではないかと思われる。
 月給制というものは基本的に仕事が有るという前提で作られた制度であるので、今後は、仕事量に見合った給料体系に変えていかなければ企業経営が成り立たなくなるのではないかと思う。

 時給制で働いている人は、休業になれば給料が出ない、時短になれば給料も減少する。そのことが正社員に比べると不公平だと言われ続けてきたが、一向にその歪な正社員制度は改められなかった。
 これまでは「全ての人を正規社員に」という声も聞かれた。しかし今後は、「全ての人を非正規社員に」という声が大きくなってくるかもしれない。

 仕事量に見合った給料制度でなければ生き残っていけないという認識を多くの企業が持つに至ると、どうしても正社員の月給制にメスを入れざるを得なくなる。
 これはある意味、病気と同じようなものであり、手術をしないと死亡するということが判れば、その原因を取り除くために無情にもメスは使用されることになる。

 そうなると、当然の如く、100年間以上も続いてきた「8時間労働」という常識も崩れる可能性が高くなる。これまで仕事の有無や多寡に関係なく維持され続けてきた「8時間労働」が遂に過去のものになる可能性が出てきた。

 「8時間労働教」という100年前に誕生した旧い宗教に縛られ、本来、得られるべき自由な時間を無駄にしてきた労働者にとっては、この現象はむしろ喜ぶべきことなのかもしれない。
【関連記事】
「8時間労働教」という宗教
100周年を迎える「1日8時間労働」

 最後に、ここで述べた「喜ぶべきこと」というのは、「8時間」に縛られることが無くなるという意味であり、必ずしも労働時間が8時間以下になるという意味ではありません。
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posted by 自由人 at 13:14 | Comment(0) | 経済
2020年04月25日

「パチンコ店の見せしめ公表」は是か非か?


■パチンコ店に追い込みをかける吉村知事

 大阪府の吉村知事が、休業要請に応じないパチンコ店の公表に踏み切ったことで騒ぎになっている。

 私はパチンコに興味は無いが、実際に車で街中を走行して確認したところ、休業要請に素直に応じているパチンコ店も結構あり、ほとんどのパチンカーも自粛してパチンコ店に行かないため、商売上がったり(光熱費の無駄)で店を閉じているパチンコ店は多い。

 パチンコ店にしても客が来なければ商売にならないので店を閉める。少し前に、日本の場合、自粛の要請が非常事態宣言になっているというブログ記事(以下リンク)を書いたが、現在は本当に緊急事態宣言が発令されたので、これまで以上に自粛が進んでいる。政府が自粛要請に後ろ向きだったパチンコ店ですら9割以上は自粛している状況であり、そこに、さらなる追い込みをかけるのは行き過ぎではないか?という声も多い。
【関連記事】「自粛の要請」が「非常事態宣言」になっている日本

 休業要請に応じず、営業していた一部のパチンコ店には、他の地域のパチンコ店から閉め出しを喰らい行き場を失ったパチンカーが押し寄せることになっていた。自粛を要請したことで行き場を失ったパチンカーが駆けつけて大繁盛となっていたパチンコ店の集団感染(クラスター)を避けるために店名の公表に踏み切った。そう言えば、誰もが認めざるを得なくなる。

 しかし問題は店側にあるのではなく、自粛に協力しないパチンカーにある。そういった懲りないパチンカーを一網打尽にする目的での店名公表だったのかもしれないが、パチンカーにとっては店名を公表されても痛くも痒くもない。
 パチンカーの顔や名前をテレビで公表するということなら効果があるかもしれないが、パチンコ店の店名を公表してもパチンカーにとっては、「よい情報をもらえた」と喜んでいるだけかもしれない。

■吉村知事の「賭け」は結果責任

 吉村知事の思い切った素早い行動を賞賛する声もあれば、やり過ぎだという声もある。
 個人的にはどちらの言い分も理解できる。しかしこれは、あくまでも吉村知事の戦法であり、その結果、コロッと態度を変えて休業になるパチンコ店もあれば、逆に良い宣伝になったということで更に輪をかけてジャンジャン営業するパチンコ店が出てきてもおかしくない。
 吉村知事にとってもパチンコ店にとっても、どう転ぶかは一種に賭けであるので、どちらが良くて、どちらが悪いとも言えない。
 
 店名を公表されたことでマイナスイメージになり、客が来なくなると思えば店を閉めざるを得なくなるだろうし、世間からどんなバッシングをされようとも来店してくれる客がいるなら営業し続ける店もあるかもしれない。

 「こんな状況で営業するなんて犯罪だ!」と言う人がいるかもしれないが、残念ながらこれは、国家権力を用いて強制的に営業をストップさせるという法令ではない。あくまでも法的強制力を持たない政治的な戦法なので、言うことを聞かない人がいたとしても、それはそれで仕方がない。

 ということで、この一件にも次の言葉が適用できると思う。

 「政治は結果責任

 今回の吉村知事の「パチンコ店の見せしめ公表」が正しかったのか間違っていたのかは、結果を見なければ判らない。
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posted by 自由人 at 09:57 | Comment(0) | 社会問題
2020年04月23日

新型コロナウイルスの常識破壊【病院「憩いの場」の崩壊】


■「憩いの場」から「危険な場」へ

 日本の病院は、少し前まで老人達の憩いの場として、特に病気でもないような老人が、少し体調が優れないという理由だけで立ち寄るサロン的空間という常識が根付いていた。
 白亜の殿堂を思わせる清潔なイメージ、空調の行き届いた冷暖房完備の広々とした空間、低姿勢で愛想の良いナース達、ゆったりと寛げるソファーの座り心地に魅了された老人達にとっては、まさに病院はリラックスできる至れり尽くせりの安心空間でもあった。

 一方で欧米では、軽い風邪程度では病院には行かない人が多いと言われている。それは医療費が高いという理由も1つだが、風邪を治す特効薬は存在しないということを知っており、風邪の薬は睡眠しかないということも、経験上、大半の人が知っているからでもある。

 医療費が無料に近いことから、半福祉施設として老人の「憩いの場」と化していた日本の病院だったが、新型コロナウイルス騒ぎによって、その常識は幸か不幸か崩壊してしまったかに見える。

 現在では、ウイルス感染を恐れて自宅に引き蘢り、「頼まれても病院には行きたくない」という老人が大半を占めており、今や老人にとって病院は「危険な場」と化してしまった。

■「華やかな職場」から「命懸けの職場」へ

 同時に、医者や看護師にとっても病院は必ずしも居心地の良い空間ではなくなってしまった。某有名女優が主役を張るテレビドラマの影響もあって、女性が憧れる「華やかな職場」というイメージが定着化しつつあった病院が、今や患者の命だけでなく自分自身の命の心配もしなければいけない「命懸けの職場」と化してしまった。笑い事ではないが、「私、失敗しないので」とは言えても「私、感染しないので」とは言えないリスクのある職場となってしまった。

 現在の医療は医者と患者が密に接する「三密」の要件を満たしており、不幸にも「三密」を絶対悪とする現在の風潮がこのまま維持され続けるとなると、素手による触診というものもできなくなってしまう。指圧やマッサージすら手袋を付けて行わなければいけないということになりかねない。

 中でも、歯医者のような他人の口内に指を入れるという「三密」破りの極致のような診療は控える人が多く出てくるかもしれない。実際に、私の身近にも今まで定期的に通っていた歯の定期検診(歯石取り)を止めた人がいる。

 しかし、病院が「憩いの場」でなくなったことで、「あと5年で破綻する」と言われていた日本の医療保険制度は少し延命の方向に向かうかもしれない。
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posted by 自由人 at 20:49 | Comment(0) | ライフ
2020年04月20日

「一律給付金10万円は血税」という純粋な勘違い


■「税金」と「赤字国債」の混同

 国が国民に対して一律10万円を支給することになり、いろんな方面から賞賛の声があがっている。
 しかしながら、その喜びの理由は様々であるらしく、本当に困っている人が助かるという意味で素直に喜んでいる人もいれば、特に困っていない人が10万円貰えてラッキーという人もいる。そして、単に国からお金をむしり取れたことを喜んでいるように見える人もいる。

 まるで、ねずみ小僧が悪代官から小判をかっぱらって、その小判を少しずつ均等に貧乏長屋の人々に配っていくかのようなヒロイックファンタジーに酔っているような意見もチラホラと見え隠れしているようだ。

 今回の一律給付金を税金で賄っていると思っている人もいるようだが、それは大きな誤解であり、純粋過ぎる勘違いでもある。

 政府も発表している通り、一律給付金の原資は「税金」ではなく「赤字国債」ということになっている。国民が支払った税金で賄っているのであれば、「赤字」という文字は付かない。税金で賄い切れないからこそ「赤字国債」が発行されるわけなので、国民の血税が姿を変えて一律給付金に化けているわけではないということ。この辺を誤解している人が案外多いようなので、指摘しておきたいと思う。

■「制限有り30万円給付」は不公平な平等政策

 ついでに言うと、もし今回の一律給付金が全て国民が支払った税金で賄われているのだとすれば、その税金を国が勝手に分配するということが本当に正義になるだろうか?

 今回のように特殊なケースでは、それでも反対するような人はほとんどいないだろうけれど、それは、ある意味で独裁政治になってしまう危険性を孕んでいるということにも目を向ける必要がある。国民(納税者)が真面目に納めた税金を災害のためだけに全て使用するべきだということで、それを有無を言わさず勝手に使用するとなると、それは民主主義ではなく、紛れも無い独裁主義になってしまう。

 「国民が支払った税金」ではなく「国が発行するお金」であるからこそ、全員に公平に分配することが許されるということを考えなければいけない。そして、国が発行するお金であるからこそ、公平に配らなければいけないのである。

 ゆえに、当初、財務省が推していたとされる「制限有り30万円給付」は公平な政策ではなく不公平な政策になってしまうということ。
 「制限有り30万円給付」ではなく、「制限無し10万円給付」にしなければいけなかった理由はそこにある。

 収入の違いで恣意的にお金を分配する行為は、平時の平等政策であって、有事の公平政策とは言えない。新型コロナウイルス問題は国民全員の社会問題であって、一部の人間だけの貧困問題ではないので、「平等」ではなく「公平」に重きを置かなければ緊急政策としての筋が通らなくなってしまう。
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posted by 自由人 at 22:25 | Comment(1) | 経済
2020年04月19日

新型コロナウイルスの常識破壊【財政再建派の消滅】


■全ての人をリフレ派に転身させた新型コロナウイルス

 大きな騒ぎにもなった制限有り30万円の世帯給付が急遽取り消され、所得制限無し10万円の個人給付がほぼ決定という運びになった。
 個人的には…と言うよりも、マクロ経済的にもこの判断は素直に評価したいと思うが、やはり、この政策に反対していたのは財務省だったと報道されている。

 消費税の増税については財務省に反対することができなかった安倍総理だったが、さすがに今回は世論の反対の声を味方に付けることで10万円給付を通さざるを得なくなったというところだろうか。そういう意味では民意が反映された形であるとも言える。

 不思議なのは、今回、財務省以外の財政再建(緊縮財政)派の人々が、誰も10万円給付に反対していないところだ。毎度、国の借金がどうのこうの、ハイパーインフレがどうのこうのと宣う人々がこぞって10万円給付に賛成しているというのは実に不思議な光景とも言える。

 「国が12兆円もバラまけば、国の借金が返せなくなる」
 「国が12兆円もバラまけば、ハイパーインフレになる」

 こう言う人が今回は誰もいない。全員がこぞってリフレ派に転身してしまったかのように。

■1人10万円でもインフレになる心配は無用

 ところで、麻生副総理は、こう述べられている。

 「手を上げた方に1人10万円ということになる

 かつて定額給付金で全国民に12000円給付したものの効果が無かったことを根に持たれているのかもしれないが、これはいただけない。自己申告制には反対しないが、こういうセコいことはこの際、言わない方が得策だと思う。

 そもそも12000円というのが少額過ぎたわけで、10万円を給付したところで、ハイパーインフレは元よりインフレになる心配も全くない。
 アベノミクスで200兆円(1人約200万円)バラまいてもインフレにすらならなかったことは証明済みであり、インフレにするには最低でも1人1000万円(合計1000兆円)、ハイパーインフレにするには最低でも1人1億円(合計1京円)は配る必要があると思う。

 だから、12兆円程度では、全く問題は発生しない。況して今は、経済が仮死状態に陥っているのだから尚更だ。マスクや食料品以外の嗜好品を誰も進んで購入しない状態であるのに、インフレになる心配をする方がどうかしている。

 赤字国債を発行して借金になるといっても、それを現役の人々が返すわけではないし、将来世代が必ず返す必要があるというわけでもない。誰かが汗水たらして働いたお金を借りているならともかく、現在発行している赤字国債は信用創造で作り出したお金(泡銭)に過ぎない。
 もし本当に全世界が赤字国債を発行して創り出した国の借金を返す必要があるということなら、既に全世界は破綻している。
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posted by 自由人 at 09:52 | Comment(0) | 経済
2020年04月18日

新型コロナウイルスの常識破壊【新卒一括採用編】


■急転直下で激変した企業を取り巻く環境

 昨年はバブル期を超える程の空前の超売り手市場と呼ばれた。学生達は就職する企業を選び放題という具合で、就職氷河期とは比べようもないほど易々と就職できる恵まれた環境だった。そのためか、政府からも、かつて就職活動で苦労した就職氷河期世代を支援する動きも見られた。

 しかし、今年に入って突然、新型コロナウイルス問題が発生し、そのお気楽なムード水を差すかのように急転直下で企業を取り巻く環境が一変した。
 企業は新入社員の入社式も行うことができなくなり、入社後も即、自宅待機ということで、本当に就職したのかどうかも分からないという宙ぶらりんの状態になってしまった。梯子を外されたと言うべきなのか、このままこの外出自粛や休業状態が長期化するとなると、内定取り消しならぬ、入社取り消しになる人や、仕事が無いので自分から退職するという判断に至る人も結構出てくるのではないかと思われる。

 今年は、学生の内定辞退が騒がれた昨年とは真逆の厳しい1年となる可能性が極めて高い。

 こういう時は、1年程、遊ぶつもりでのんびり構えた方が精神的にも楽だと思えるのだが、新卒で入社したばかりの社会人1年生や、今年就職活動をする学生にしてみれば、そんな悠長なことは言っていられないと思うのかもしれない。

 気楽に思えない理由の1つは、日本社会には“新卒一括採用”という悪習があるからだとも言える。卒業した年に就職できなければ、次の年に就職するのが難しくなるという逼迫感が目の前にドンヨリと横たわっているので、どうしても悲観的に考えざるを得なくなるのだと思う。

■「新卒一括採用」は崩壊せざるを得ない

 就職活動をする時期に、世間の景気が良いか景気が悪いかで、新卒者のその後の人生が大きく変わってくるような不安定で不条理な社会というのは、普通に考えるとおかしいわけで、そういったおかしなところは改めるべきなのだが、今までズルズルと放置したままで真面目に改めようとしてこなかった。そういった悪弊が新型コロナウイルス問題によって一気に表面化したとも言えるだろうか。

 新型コロナウイルス問題が発生したことによって、今後は、この新卒一括採用という日本特有の就職システムは、これまでのようにポーズ(見せかけ)だけでなく、本当に本腰を入れて改めざるを得なくなると思う。幸か不幸か、運・不運で就職氷河期世代を作り出すような歪んだシステムはもうこれ以上、維持していくことは不可能になる。

 日本のマスコミは、アメリカの失業者が増加したことを超悲観的に報道するが、当のアメリカ人は日本ほど失業というものを悲観的には捉えていない。当面の生活に足りる預貯金がある人なら、「コロナが終息するまでのんびり休むか…」というような楽観的な人も大勢いると思う。

 日本のように新卒で就職しなければ、その後の人生が大きく変わるというような差別的な社会制度は無いし、企業が新卒以外の労働者を差別するようなこともないので、仕事さえできれば、なんとかなるさというお気楽さがある。言わば、ケ・セラ・セラの精神だ。

 日本社会における、集団での新卒一括採用、集団での入社式、集団での新入社員教育、こういったものは今後、全て過去の遺物になっていく可能性がある。

 しかしそれは、これから社会人になる人にとっては悪いことだと嘆くことではなく、むしろ良いことだと喜ぶべきことなのかもしれない。
 年齢で差別され、一度転落した者は二度と這い上がれないような窮屈な社会よりも、年齢で差別されず、たとえ失敗したとしても能力や努力が正当に評価され報われる社会、その方が良い社会に決まっている。
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posted by 自由人 at 19:00 | Comment(0) | 経済
2020年04月17日

中国は『感染列島』のストーリーをパクったのか?


■新型コロナで評価が上がった映画『感染列島』

 トランプ大統領は、「アメリカの新型コロナウイルス感染者数がようやくピークに達した」と述べた。そして、新型コロナウイルスが「中国武漢にあるウイルス研究所から流出したものかどうかを調査中だ」と語った。

【参照記事】ニューズウィーク日本版
 新型ウイルス、武漢の研究所から流出したものか調査中=トランプ氏

 こういったニュースを世界に先駆けて出してくるところは、さすがにアメリカらしい。中国政府に忖度しているどこかの国のマスコミとは比較にならないほどに情報がクリアかつリアルだ。

 先日、『感染列島』という日本のパニック映画を観てみた。最近、ビフォアコロナとアフターコロナでは観た感想が全く違ってくる映画ということで話題にもなっているようだ。

 2009年の上映当時は「現実味が無い」「長くて退屈」等と酷評された映画だったので個人的にも観るのをパスしていた映画だったが、今現在観てみると、妙にリアルに感じられる映画だった。特に医療現場の崩壊を描いているところは各国の現状をリアルタイムで観ているようで興味深かった。
 
 11年も前の映画なので、ネタバレを書いても問題ないと思われるが、もしこれから観る予定という人は、次のキャプションパートは読まないようにしてください。

■中国政府は『感染列島』を参考にしたのか?

 映画のストーリーは、外国で医療活動を行っていた人物が正体不明のウイルスに感染し、日本に持ち帰ってしまったことで日本国中にウイルス感染が広まり、国が崩壊寸前のパニックに陥ってしまうというものだった。
 面白いことにそのウイルスの発生元は、今回の新型コロナウイルス問題で当初、中国政府が発表したものと同じ野生の蝙蝠(コウモリ)だった。もしかすると、中国政府はこの映画を参考にしたのかもしれないな…と勘ぐりたくもなった。

 この映画で描かれていた謎のウイルスは「BLAME(神の責め苦)」と呼ばれ、老人も子供も分け隔てなく感染し重篤化するものだったが、新型コロナウイルスの場合は、高齢者だけが重篤化するという特殊なウイルスだ。
 しかし、野生の動物(蝙蝠)から発生したウイルスが主に人間の高齢者だけを選別して重篤化させるというのは、あまりにも不自然だ。

 スペインかぜも成人だけを重篤化させるという不自然なウイルスだったと言われているが、こちらは野生の動物から発生したウイルスというわけではない。
【関連記事】「武漢かぜ」と「スペインかぜ」の特殊性

■正念場を迎えた中国共産党

 アメリカの調査次第では、事の真相が明らかになるのかもしれないが、真相が判明するしないに拘らず、いずれにしても、新型コロナウイルスがこれだけ世界中に蔓延し多くの犠牲者を生んでしまった大元の原因は“中国政府の隠蔽体質”にあることだけは世界中が認めている間違いのない事実であるので、中国政府は世界の人々に対して詫びを入れる必要がある。

 中国政府の辞書には「他国に謝罪する」という言葉は見当たらないかもしれないが、この期に及んでも不祥事を隠すことに躍起になり他国のせいだと言い逃れするのであれば、もはや、誰も中国を相手にしなくなっていくだろう。

 武漢では「新型コロナウイルスが終息した」とも伝えられているが、中国政府(中国共産党)は今まさに、新型コロナウイルスの蔓延とは違う意味での正念場を迎えたようだ。彼らは国内の新型コロナウイルスの蔓延だけでなく、中国政府に不信感を抱く人々が世界中に蔓延することをこそ恐れるべきである。


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posted by 自由人 at 22:14 | Comment(0) | 国際問題
2020年04月15日

【風刺寓話】「新型コロナ教」の誕生


(この物語はフィクションです)

 西暦2020年、世界は新型コロナウイルスの猛威に晒された。

 人々はこの治療法のない新しい未知のウイルスの脅威から盲目的に逃げ惑い、多くの人は恐怖に耐えきれず自宅に籠ってしまい誰とも会わなくなった。
 そのため、識者達は知恵を絞り、ウイルスの蔓延を防ぐために、「三密」という戒めが書かれた警告書を創り出した。そして、時の政府はその「三密」を基にして外出禁止令を出すに至った。

 新型コロナウイルスを恐れる人々は、悪魔の如きウイルスの憑依から逃れるために「密閉」「密集」「密接」という3つの戒めが書かれた警告書を聖なる書として崇め、世界中に拡めることに努めた。そしていつしか、この教えに背いた者は邪教徒の烙印を押され蔑まれるようになっていった。

 その後間もなくして、新型コロナウイルスは終息したものの、人々を救った戒めとして「三密」の教えだけは残り、人々は「密閉」「密集」「密接」という言葉を毎日のように唱和するようになっていった。
 その言葉は無意識の内に横で聞いていた子供達の純粋な心にまで刷り込まれていった。

 ある平和主義者は、「三密さえ唱えていれば病気にならない」という間違った常識を喧伝するようになり、他人と密接な関係を築くことは悪いことだとする自虐的な価値観が燎原の火の如く世界を駆け抜け、人々の心の奥深くまで染み込んでいった。

 その後、人々は、もはや新型コロナウイルスが存在しないにも拘らず、外出時にはマスクで顔を半分隠すことが習慣となり、外気に口を晒すことは許されない行為とされ、他人に口を見せることは、より罪深い行為として断罪されるようになっていった。

 他人はもとより親子兄弟とも距離を置くことが当然の行為とされ、人々は親しい友人を作ることも異性と交際することも後ろめたいことだと思い込み控えるようになっていった。

 そういった常識が根付いて行くことによって、人々は子供を作る機会も子供を抱いて愛情を注ぐ機会も失っていくことになり、知らず知らずのうちに世界人口が急減する原因を自ら作り出すことになってしまった。

 しかし、そのことを警告する者は誰もいなかった。否、誰もいなかったというのは正確ではない、正確には、誰も言い出すことができなかった。なぜなら、異論を許さない全体主義的な空気が世間に充満していたからである。

 新型コロナウイルスは、人々の恐怖心とパニック現象に介在することによって、これまでの常識を全て破壊する勢いで世界を大きく変えていった。人々はまるで記憶を喪失したかのように新型コロナウイルスが流行した以前の文明を思い出すこともなく、かつての生活様式を忘却の彼方に置き忘れたかのようだった。

 西暦202×年、この「三密」を教義とした教えは、瞬く間に世界共通の常識となっていった。その教えは後の世でこう呼ばれるようになった。「新型コロナ教」と…。


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posted by 自由人 at 22:44 | Comment(0) | フィクション
2020年04月13日

「出勤7割削減」はミッション・インポッシブル


■あまりにも非現実的な「出勤7割削減」

 「出勤7割削減」、この言葉を聞いて唖然とした会社員は多いと思う。「出勤3割削減」ならまだ理解できようものだが、さすがに7割削減は有り得ないだろうというのが多くの会社員の正直な感想だと思う。

 これは換言すると、「3割の人員で仕事を行ってください」ということになる。得意先も関連企業も全て休業ということであれば、下請け企業でも休業にすることはできるかもしれないが、そうでない限り、出勤7割削減などというのは土台無理な相談だ。

 もしかすると、「出勤10割削減」は無理でも「出勤7割削減」なら大丈夫かもしれない…と考えたのかもしれないが、その考え方は全く逆であり、「出勤10割削減」は可能でも「出勤7割削減」は不可能だ。

 日本国中、出勤者3割で会社の仕事を回していけるような所が一体どれだけあるのか甚だ疑問であり、そんなことが簡単にできる所があるとすれば、それは余剰人員を多く抱えた役所(※注1)くらいかもしれない。
(※注1:全ての役所という意味ではない)

 「日本国中、テレワークにしろ」というのも、いきなり「時計の針を100年進めろ」と言っているに等しい。現代の日本で丸ごとテレワークにできる業種など、ごく限られている。

■改めるべきは、お役人の危機管理能力の低さ

 民間企業で会社員として働いた経験の無い人々(官僚・政治家)には民間企業の実情というものがまるで解らないので、このような浮世離れした発想が出てくるのかもしれない。
 これから官僚や政治家になるような人には、世の中を正しく知るという意味でも、1度、民間企業に入り洗礼を受けてもらった方が良いのかもしれない。

 「7割出勤するな」と言うのであれば、いっそのこと「10割出勤するな」と言えばよいわけで、「全労働者の1ヵ月分の生活費(※2)を支払います」ということをセットにすれば、10割は無理でも9割以上は可能になると思う。「1ヵ月分のベーシックインカムを全国民に支払いますので、1ヵ月間は休業にして自宅に籠ってください」ならできるはずだ。
(※注2:給料全額という意味ではない)

 そういうことがなぜできないのかと言えば、民間企業の内情を理解できない人々のメンタリティが邪魔をしているからだろう。「出勤7割削減」よりも「出勤10割削減で1ヵ月分のベーシックインカムを支払う」ことの方がよっぽど現実的であり実現性も有ると思われるのだが、なぜか、そうしようとは考えない。

 こういう危機(と言うよりもパニック)の時には、前例踏襲主義などはかなぐり捨てて、スピーディーかつ柔軟な常識破りの対応こそが求められる。平時と同じような対応をしている場合ではないにも拘らず、窮屈な建前主義が邪魔をして物事が一向に前に進まない。

 改めるべきは、企業の勤務体制ではなく、お役人のメンタリティの方であり、現実にそぐわない危機管理能力の低さをこそ改めるべきである。


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posted by 自由人 at 20:03 | Comment(0) | 政治