■感染者数を逐一カウントすることの無意味さ
中国で新型の肺炎患者が出たというニュースが出た頃、中国人旅行客について特に問題視していなかった人々が、今では、「中国人を入国させるな!」と叫んでいる。
そのニュースが出た当時には、既に武漢市内において新型コロナウイルスが猛威を振るっていたことは想像に難くない。
その時に「中国人旅行客をシャットアウトしろ!」と言ったとしても既に時遅しだった。もうその時点で、武漢市から脱出した数百万人の人々の一部が様々なルートを伝って日本国内にも入国していただろうから、日本に到着後に発症した人も大勢いたことだろう。テレビで騒ぎになったのはそのずっと後のことである。早期に中国人旅行客をシャットアウトした国々でも感染者が出ているのは、早期であっても既に遅かったということを物語っている。
だから、今更なにを騒いだところで、感染者数が増えていくことは避けられない。それは、毎年のインフルエンザの流行と同じようなものであり、感染者数を1人単位でカウントしていくこと自体がナンセンスであるとも言える。
毎年、インフルエンザが流行する度に、感染者を「1人、2人…」とカウントすることが如何に無意味なことであるのかを考えみればよく分かると思う。大体、表に出ていない隠れ感染者は発見された感染者数よりもはるかに多いだろうし、感染していてもほとんど症状が出ない人もいるので、逐一、感染者数を公表することに意味があるとは思えない。そんなことをしても人々にいらぬ恐怖心を与えるだけだと思われるので、公表するなら、死亡者数だけにすればいいのでないかと思う。
■不法ウイルスをシャットアウトする見えない壁
ところで、今回の「新型コロナウイルス」というものを、つぶさに観察していると、“あるもの”に似ていることに気付かされる。それは何かというと、グローバリズムである。もっと正確にいうと、中国のグローバリズムというものをメタファーとして表していると言える。
グローバル化によって、ヒト・モノ・カネ・情報が自由に移動するようになったと言われるが、ヒトが他国に移動する場合、危険人物かどうかをチェックするために、持ち物検査や思想的な調査はできるが、病人かどうかまではチェックできない。入国する人物がウイルスに感染していることは判らないので、完全にザルになってしまう。その姿は、極小のウイルスがマスクの隙間から人体に侵入する姿と似ている。
世界中で巻き起こっている今回の騒動を俯瞰してみると、興味深い現象を観ることができる。それは、どの国もこぞって、自国の国境に見えない壁を築こうとしている姿だ。
アメリカとメキシコの間に不法移民を排除する壁を設けようとしたトランプ大統領を批判していたフランシスコ教皇までが、中国政府の武漢封鎖を強く支持するという光景が象徴的だった。不法移民ならぬ不法ウイルスを壁の中に閉じ込めてしまえというのは頷けるのだが、閉じ込められるのはウイルスだけでなく人間も含まれる。移民と病人は違うとはいえ、その扱いの違いに違和感を感じた人もいたのではないかと思う。
■世界中の人々が「国境」というものを意識せざるを得なくなった
図らずも、今回の新型コロナウイルス騒ぎによって、人々は国境というものを意識せざるを得なくなった。グローバル化した経済のリスクというものを考えざるを得なくなってしまったとも言える。
一国の中で経済が完結していれば、国境封鎖をすれば、ウイルスの侵入を防げるかもしれないが、グローバル経済下では、取引のある1つの国で問題が発生すると、全ての国が等しく悪影響を受けてしまう。そういうリスクがこの上もない形で一気に顕在化してしまった。あるいは、それが今回の騒動の裏に隠された中心テーマであるのかもしれない。
「新型コロナウイルス」が意味しているもの、それは「中国」そのものであり、「グローバリズムの危険性」そのものなのかもしれない。
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