2020年01月30日

「マスク禁止」から「マスク着用」に転じた中国


■「覆面禁止法」が無意味化した中国

 昨年から続いている香港でのデモ参加者達は、監視カメラに顔が映ることを避けるために覆面やマスクを着用してデモを行っていたことはよく知られている。
 そのため、中国政府はマスクの着用を禁止するべく「覆面禁止法」を制定した。

 ところが、最近になって、新型コロナウイルスが大流行したために、マスクが絶対的に必要となり、香港デモの関係者でなくてもマスクの着用が半義務化されるという皮肉な結果を招いてしまった。
 マスクを禁止したものの、マスクが爆買いで売り切れになり、監視カメラが役に立たなくなるという事態、それはまさに、行き過ぎた監視社会が招いた因果応報だと言えるのかもしれない。

 現在は、世界中でマスクが飛ぶように売れており、日本の株式市場でも複数のマスク銘柄がストップ高を付けている。新型コロナウイルスのせいで株式市場全体が冴えない状況でも、マスク銘柄だけは堅調であり、まさに逆張り銘柄の本命と化している。ただし、マスク銘柄はハイリスク銘柄であることもお忘れなく。

■マスクはウイルス保菌者が付けるべきもの

 ところで、マスクは風邪やインフルエンザのウイルスに有効なのか?というと、実はあまり予防効果は期待できないと言われている。
 しかしながら、ウイルス保菌者がマスクを着用することで、感染力を弱めることはできる。

 今回の新型コロナウイルスにしても、空気感染ではなく飛沫感染と言われているので、マスクを着用することでウイルス保菌者が咳やクシャミをした時に飛散するウイルスの量を抑える効果は期待できる。

 そもそもマスクというものは、他人に風邪をうつさないために着用するのが基本であって、風邪をひいていない人が予防のためにマスクを付けても、それほど効果は期待できない。

 例えば、風邪をひいている人が、マスクも付けずに満員電車内で咳やクシャミをしていれば、飛沫感染で多くの人に風邪をうつすことになる。
 そんな電車内で風邪を予防するためにマスクを付けていたとしても、マスクを付けていない人に比べれば少しはマシかもしれないが、息をしている限り、完全にウイルスをシャットアウトすることはできない。しかし、風邪をひいている人がマスクを付けていれば、ウイルスの飛散範囲を抑えることができるので、かなりの予防効果(感染する人が減少するという意味)が期待できる。

 ウイルスは口臭と同じようなものだと考えると解りやすい。口臭のひどい人の臭いを抑えるためには、周りの人間がマスクをするよりも、本人がマスクをした方が効き目がある。ウイルスの場合も、それと同じ理屈だと考えればいいと思う。


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posted by 自由人 at 22:32 | Comment(0) | 国際問題
2020年01月28日

「中国のパンデミック」と「日本のバイオハザード」


■武漢アウトブレイクの実態

 2002年から翌年にかけて中国広東省で発生して騒ぎになったSARS【重症急性呼吸器症候群】は、中国国内で8000人以上の感染者を出し、世界中で700人以上の死亡者を出した。
 2019年12月から今年にかけて中国武漢市で発生し、現在、大騒ぎになっている新型コロナウイルスの感染被害は、目下のところ、中国国内で4500人を超え、死亡者は100名を超えたと伝えられている。

 しかしながら、中国政府が発表している数値は信用できないことは世界中の常識であるので、実際の数値とは大きな隔たりが有ることは間違いない。死亡者は数倍、感染者も数十倍と考えた方がよいかもしれない。

 中国政府は、1000人が収容できる専門病院を10日間で作ると宣っているが、既に感染者は数万人はいるものと思われるので、焼け石に水になる可能性がある。
 武漢市の人口は1100万人ということなので、東京都(1400万人)よりは少ないが大阪府(880万人)の人口を超えていることになる。面積は東京の4倍もある。それだけの広い地域を隔離するのは物理的に不可能に近いと思えるが、逆に、そこまでするということは、想像以上に被害が拡大しているということなのだろう。
 ちなみに、半数(500万人)は既に武漢市から脱出したと伝えられているので、武漢市自体がゴーストタウン化する可能性がある。

■「生物兵器」と化してしまった中国人旅行客

 2003年当時、「SARSは生物兵器ではないか?」と噂されたことがある。当時は「単なる陰謀論だ」ということで収まったが、今回の新型コロナウイルスの場合、「単なる陰謀論だ」では済まされない状況となっている。

 既に多くの人が陰謀論ではなく事実の疑いがあるとして述べているが、武漢市には数年前に「中国科学院武漢病毒研究所」というウイルスや生物兵器を研究している施設が創設された。この研究施設から何らかの事情でウイルスが漏れたのではないか?という疑いが持たれている。
 実際にこの施設では、SARS等のコロナウイルスや、インフルエンザウイルスの研究が行われているので、疑いを持たれるのは必定だと言える。 
 意図的にウイルスをバラまいたということなら陰謀論になってしまうが、偶発的にウイルスが漏れ出てしまったということなら、中国お得意の隠蔽論ということになるので信憑性もグンと上がる。

 春節のタイミングで新型コロナウイルスに感染した中国人が世界各国に旅行し、旅行先で発症して世界中に新型コロナウイルスをバラまくことになる。そういう意味で、現在の中国人旅行客は「生物兵器」とも言われている。

 本日は、東京でバスの運転手をしていた奈良県の男性が、新型コロナウイルスに感染していることが判明した。
 世界中の国々が中国人旅行客をシャットアウトしている状況下で、日本は中国からの個人旅行客を招き入れてしまった。既に昨年の12月から新型コロナウイルスに感染した中国人旅行客が入国していると思われるので、いまさらシャットアウトしても時遅しかもしれないが、あまり大事にならないことを祈りたい。

 しかし、中国がこんな状況であるにも拘らず、日本の政界では、相も変わらず「桜を見る会」批判が行われている。日本だけは違う意味でのバイオハザードが進行しているかのようだ。


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posted by 自由人 at 23:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月25日

楽天は「送料無料」にするべきなのか?


■ワークマンの楽天市場からの撤退

 楽天が、合計3,980円以上の商品を購入した場合に限り「送料無料にする」と発表したことで楽天出店者の一部から苦情が出ていたが、ここにきて、作業服店のワークマンが「楽天市場から撤退する」と発表した。

 こんな騒動になるのも、楽天のライバルであるアマゾンが2,000円以上の買物をすると送料無料になるという商売をしているからなのだろう。
 プライム会員なら2,000円に満たなくても送料無料になるので、3,980円で送料無料にしても競争にならないとも思える。しかしながら、楽天とアマゾンではビジネスモデルが違うので、出店者から苦情が出るのは仕方がないとも言える。

■アマゾンと楽天のビジネスモデルの違い

 アマゾンは出店企業から商品を大量に購入し仕入れて(※)、自社で商品在庫を抱えて販売するというビジネスモデルなので、送料は基本的にアマゾンが負担することになる。
 一方、楽天の場合は、基本的に商品在庫を抱えることなく、商品の売買は各出店企業が行うというビジネスモデルなので、送料も各出店企業が管理することになる。(だから出店者によって送料はバラバラ)
 在庫を持つか、在庫を持たないかという違いが、サイトの分かり易さにも現れているが、商売をする上ではアマゾンよりも楽天の方がリスクの低いビジネスモデルになっている。

 在庫を持つ業者在庫を持たない業者、それがアマゾンと楽天の大きな違いなので、送料の上げ下げの自由度は全く違う。アマゾンはいつでも自由に送料の上げ下げができるが、楽天の場合は、出店企業の意向も無視できないという不自由さがある。

 楽天側からすれば、「アマゾンが2,000円で送料無料にしているのだから、その約2倍の3,980円なら受け入れるべきだろう」というのが本音だと思うが、ビジネスモデルが違う(送料を負担するのは出店企業になる)ので、苦情が出るのは仕方がなく、どうしても話し合いが必要になってくる。

■問題の根源は「送料無料ビジネス」が根付いたデフレ社会

 ここ数年、破竹の勢いで急成長して知名度が上がり、株価も鰻登りに上昇してきたワークマンなら、別に楽天市場を経由しなくても自社の販売サイトで管理すればいいだけの話なので撤退することもできるが、一般の中小出店企業ではそういうわけにはいかない。

 結局、この問題は「送料を誰が負担するのか?」という単純な問題に行き着いてしまうが、そういう問題が俎上に上るのは「送料無料ビジネス」が当たり前になってしまったからだとも言える。

 アマゾンの場合の「送料無料」は、実質的には利益を削って「送料込み」で販売するという薄利ビジネスモデルということになるが、楽天の場合は、利益を削るのが出店企業側になってしまう。

 利益を削れば、どこかにしわ寄せがくる。楽天市場だけに限って言えば、楽天と出店企業間の問題のみに収まるが、どんな商売でも利益を削ることによるしわ寄せは、巡り巡って日本社会全体に波及することになる。

 本当に問題視しなければいけないことは、1円でも安い商品を検索して1円でも安く購入することが絶対的に善しとされる現代のデフレ社会なのかもしれない。特に日本は欧米と違って、チップを出すというサービス文化が根付いていないため、カツカツの薄利だけで商売しなければいけないという息苦しさがあるので尚更だと言える。

※文中、誤解を招く記述がありましたので、訂正しました。
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posted by 自由人 at 15:42 | Comment(0) | 経済
2020年01月22日

近代国家なのに「保守」がほとんどいない日本


■「国家」と「国民」は「親」と「子供」の関係

 「国家」と「国民」の関係を、親子関係で例えると、「」と「子供」の関係になる。

 ○親が何をしようが反対という反抗期に当たるのが「左翼

 ○親が何をしようが絶対的に信頼を寄せるのが「右翼

 ○親に尊敬の念を持ちながらも、親の悪いところは注意するのが「保守

 ○親に依存しながら、親を尊敬していないのが「似非リベラル

 ちょうど、こんな感じになるだろうか。

 この違いを考慮した上で、今回のゴーン氏逃亡事件における世間の評価を観察していると、昔も今も日本には本当の「保守」という存在がほとんどいないということに気付かされる。

■右も左も感情優先の全体主義者ばかり

 戦前、左右両極の全体主義者と闘ったとされる思想家の河合栄治郎氏が、この事件を見れば、おそらくゴーン氏を擁護する論陣を張っていたのではないかと思う。彼なら、この現状を見て「右も左も全体主義者ばかり」と嘆いたことだろう。世間の空気が左に寄れば左、右に寄れば右、という風見鶏のような全体主義者ばかりだと嘆いたことだろう。

 検察がマスコミにリークした情報を鵜呑みにし、弁護側の言い分を無視している人の如何に多いことか。
 弁護側の言い分にも目を向けると、本当にゴーン氏は罪を犯したのか?と疑問に思える部分もあるのだが、弁護側の意見はほとんど表に出てこない。

 多くの人は、まるで、ゴーン氏がお金を儲け過ぎたことが罪であるかのように批判しているようにも思える。
 かつて、ライブドア事件において村上世彰氏が、「お金儲けは悪いことですか?」と言ったことがあったが、今回の事件も同じような性質を持っているように思える。

 ゴーン氏にも確かに強欲なところがあったのだろうけれど、それが一生、刑務所に閉じ込めるほどの罪だとは正直、思えない。

■見込み捜査の失敗が「人質司法」を招く

 ライブドア事件の時にも、「検察の見込み捜査の失敗」という言葉がよく聞かれた。粉飾を行ったとされる企業を調べても脱税すらしていなかったということが判り、「大山鳴動して鼠一匹」と唖然となった人も多かったのではないかと思う。

 今回のゴーン氏逮捕も、すぐに有罪にできるほどの決定的な証拠を検察が提示できないために、ズルズルと拘束が長引いたとも考えられる。よく、テレビドラマで観る取り調べシーンのように、「罪を認めれば自由になれるぞ」「罪を認めれば刑期が軽くなるぞ」と詰め寄り、罪を認めるまで延々と拘束するという姿が思い浮かぶ。(それが人質司法)

 相手が日本人であれば、適当な理由で有罪にできたかもしれないが、ゴーン氏の場合、世界中からの監視の目が光っているので、いい加減な理由で有罪にすると、それこそ世界中からバッシングされる危険性がある。

 日産をフランスに乗っ取られたくないという裏事情もあっただろうから、その部分については同情もするが、この事件は、初めから、かなり無理筋の捜査だったことは否定できないと思う。
 誤解を恐れずに言えば、確定的な有罪の証拠を提示できなかった検察にとって、ゴーン氏が逃亡したことは渡りに船だったのかもしれない。


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posted by 自由人 at 22:47 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月19日

逃亡者心理で考える「ゴーン夫妻“脱日”事件」


■多重構造になっているゴーン氏逃亡事件

 カルロス・ゴーン氏の妻キャロル氏は、レバノンの首都ベイルートにおける取材で以下のように述べたらしい。

 「日本とはもう終わっている

 まるで、北朝鮮から脱北した人間が言う台詞のようだが、ゴーン夫妻にとっては、まさしく“脱日”したという心境なのかもしれない。

 ゴーン氏逃亡事件において、海外ではゴーン氏に同情している人が多いが、逆に日本では批判的な人が多い。なぜこれほどまでに、日本の内と外では意見に温度差が生まれるのだろうか?

 まず第一に、この事件は、表面的には単なる脱走事件に見えているが、実のところは多重構造になっているので、事件をどこで切り分けているかによって全く見方が変わってくるということが考えられる。
 逃亡したという結果だけを見て「法律を破った」と批判している人もいれば、逃亡した原因は「単に有罪から逃れるためだ」と批判している人もいる。一方で、逃亡したのは「日本の人質司法に問題がある」と言っている人もいれば、「陰謀から逃れるためだ」と言う人もいる。

 「結果だけを見る人」と「原因と結果を見る人」と「原因のみを見る人」、これだけでも3通りの意見が出てくることになる。

■ゴーン氏の逃亡劇を「正当防衛」として考えると…

 私はゴーン氏の逃亡劇を見て、ゴーン氏をモンテ・クリスト伯に例えたが、その後、フランスのマスメディアも「現代のモンテ・クリスト伯」と評している。「モンテ・クリスト伯」はフランスの小説でもあるので、そう考える人が出てくるだろうことは容易に想像がついた。
 モンテ・クリスト(巌窟王)は、無実の罪で幽閉された人間が主人公のドラマだが、ゴーン氏を無実であるかのように論じると、またぞろ、「ゴーンは無実ではない」とか「ゴーンの言うことを鵜呑みにしている」というような反論が返ってきそうなので、今回は「有罪」か「無罪」かは於いといて、「誘拐」と「正当防衛」という視点で考えてみたいと思う。

 もし、日本人であるあなたが、ある犯罪組織に誘拐および監禁された場合、何を考えるだろうか? 誰もが、そこから一刻も早く抜け出したいと考えると思う。しかし抜け出すためには、見張り役の人物を倒さなければいけないという選択を迫られた場合、どうするだろうか?

 多くの人は、そんなことをすると法的に殺人になってしまう可能性があると躊躇すると思う。しかし、その見張りを倒さない限り、あなたは一生、監禁されたままということになる。まさに究極の選択だが、これが欧米人ではどうだろうか?

 外国の映画などを観ていると、自分の命の危険がある場合は、相手を傷付けたり殺しても罪に問われない(所謂、正当防衛)ことが日本以上に徹底されているという印象を受けることがある。「これ、日本でならNGだよね」というようなシーンが多々出てくるので、「えっ、これでいいの!?」と思ったことがある人も多いのではないかと思う。

■法律と人間の命(人権)のどちらが重要か?

 民主国家で拳銃の所持が許されている国があるのも、個人の命を守るための正当防衛であれば発砲しても罪に問われないという認識が常態化しているためであり、この辺のところの認識が日本とは全く違っている。それはある意味、法律よりも人間の命(人権)の方が大事だという民主国家の基本が徹底されている証拠でもある。

 ゴーン氏が罪を犯したかどうかはともかくとして、この事件がもし、クーデター紛いの国策捜査であった場合、有罪になる確率は100%ということになる。
 その状況に置かれた人間の心理状態というものを考えると、その心境はまさに拉致監禁された人間と同じ状態であり、法律を破って逃げることも正当防衛という認識で実行したものと考えられる。

 もう1度、お断りしておくと、ここでは有罪(良い)か無罪(悪い)かは考えない。考えるのは、あくまでも、ある状況下に置かれた人間の心理状態である。

 「そんなものは関係がない!」という反論が返ってくるかもしれないが、人間の罪というものを考える上で、これは無視できない問題だ。その部分を無視した意見は、法律と人間の命(人権)のどちらが重要かという、民主国家における最も重要な概念を無視した意見だということも併せて考える必要がある。


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posted by 自由人 at 22:54 | Comment(0) | 国際問題
2020年01月16日

「BOSE閉店」様変わりしたスピーカー業界


■「BOSE」閉店の衝撃

 高音質で有名なスピーカーメーカーのBOSE(ボーズ)が日本を含む直営店舗119店を閉店すると発表した。

 20年程前、「BOSE」と言えば、あまりにも高価で手が出ないスピーカーだったと記憶しているが、さすがの「BOSE」も価格破壊の波には逆らえなかったということなのだろうか。

 10年程前だったか、パソコン用のスピーカーとして、スイスのロジクール製のスピーカーを購入したことがある。それまでのパソコン用スピーカーは、所謂、ドンシャリ音で聴くに耐えないものが多かったが、そのロジクール製スピーカーは1万円以下と安価ながらも2〜3万円の一般スピーカーの音を軽く超えていて驚いたことがある。

 そして、昨年は、車載用に中国のAnker(アンカー)製のスピーカー(Anker Soundcore mini)を購入してみた。3千円以下の安価なBluetoothスピーカーだったので、サブスピーカーとして使用できればいいかな…という軽い気持ちで買ってみたものの、そのあまりの音の良さに驚いてしまった。

 モノラルスピーカーであるにも拘らず、車に据え付けのステレオスピーカーよりも音が良かったので、今ではそちらがメインになっている。
 車載のワンセグテレビを据え付けのスピーカーで聴き、iTunesの音楽やiPhoneナビはAnkerのスピーカーという具合に分けて聴いている。

■ハードには弱くソフトには強い中国製品

 アマゾンでは中国製商品の偽レビュー等が問題となり、現在では「日本からのレビューを見る」というような項目まで付加されているが、実際にいろんな中国製の商品を使用してみて、自分なりに判ったことがある。

 大まかに言えば、中国製の商品は物理的に弱いということが言えると思う。設計が悪いと言い換えることも可能だと思うが、デザイン(見かけ)は良いのだが、作りが甘いために、ちょっとした衝撃で壊れてしまうものが多い。

 例えば、中国製のシャワーヘッドなどがいろいろと販売されている。昨年、2回、ステンレス調(実際はプラスチック)の中国製のシャワーヘッドを買い替えてみたが、2つとも、数ヶ月で(水圧で)割れてしまった。
 それで結局、日本製に換えてみたのだが、全く壊れる様子もなく、中国製と違って水漏れも全くしない。この辺のところにMade in Japanの底力を感じさせられた。

 一方で、ハードではなくソフトウェア的なものでは、先のスピーカーも含めて、案外、中国製はよくできている物がある。パソコンの周辺機器などでも筐体には難(ズレなど)があるが、中身は優れているという場合が多々ある。安かろう悪かろうの見かけ倒しではなく、安かろう良かろうという商品もある。

 最近は100円ショップでも様々な電器製品が販売されており、価格破壊の波は未だとどまることを知らない。音にさえ拘らなければ、スピーカーやイヤホンまで100円とか300円で売られている。そんなデフレ市場に慣れきってしまった消費者の目には、数万円の高価格スピーカーは「高嶺(高値)の花」に見えてしまうのだろう。

 先に述べた通り、3000円も出せば、昔の高音質スピーカーが手に入ってしまう。それは消費者にとってはこの上なく便利な時代であるのかもしれないが、同時に生産者にとっては、哀しくも恐ろしい時代だ。アメリカが中国製商品の締め出しをするのも解るような気がする。


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posted by 自由人 at 23:45 | Comment(2) | 経済
2020年01月15日

日本の「推定有罪思考」の淵源とは?


■白日の下に晒された「推定有罪思考」

 ゴーン氏逃亡事件で、森法相が「ゴーン氏は司法の場で無罪を証明すべきだ」と述べられた。その言葉を聞いて多くの国民は条件反射的に「その通りだ」と思い拍手喝采した。しかし逆に、ゴーン氏のフランスの弁護士は以下のように述べたという。

>「有罪の立証責任は検察官にあり、被告に無罪の立証責任はない。あなたが間違えたのは容易に理解できる。あなたの国の司法制度は推定無罪の原則を無視しているためだ

 この発言に対し、多くの国民は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をしたのではないかと想像する。

 外国人から「推定無罪の原則を無視している」と言われて、「あ、なるほど」と思えた人はまだましな方で、おそらく多くの人は「推定無罪ってなに?」という反応だったのだろうと思う。

 図らずも、この一件で、日本では近代司法の常識というものが理解されていないということが白日の下に晒されてしまったとも言える。この状況は、外交的な観点から見ても、実は非常に恐ろしいことでもあるのだが、某ポータルサイトの掲示板などを見ていると、未だそのことを理解している人はほとんどいないのではないかと空恐ろしくなる。

 これまでの人生で、司法の世界と直接的にも間接的にも無縁だったということも大きな原因になっているものと思われるが、それとは別に、日本の時代劇等のテレビドラマも少なからず影響しているのではないかと思われる。

■水戸の黄門様と「推定有罪思考」

 最近の映画やドラマの流行りは、所謂「騙し系」というジャンルで、最近観た日本映画では『コンフィデンスマンJP』や、何年か前では『イニシエーション・ラブ』というような映画もあった。こういった映画は、最後の最後でドンデン返しが待っており、見事に騙されるというオチが売りになっている。ハリウッド等でも、この20年来、あの手この手を使い、こういった騙し系映画は量産され続けてきた。

 そういった騙し系映画を観て「理解できなかった」と言う人はあまり見かけない。比喩(メタファー)や皮肉(アイロニー)が理解できないという人はいても、騙されたことが解らないという人はあまりいない。なぜなら、映画ではきちんと種明かしをしてくれるから。

 水戸の黄門様が懐から印籠を出し、「ひかえおろー」と言うと、皆、条件反射的に「ははー」と頭を下げる。まさか、その後で、ドラマの展開がコロッとひっくり返るなどとは誰も想像だにしていない。水戸の黄門様が間違った判断などするはずもなく、悪人が「悪さをしていない」と言っても、誰も聞く耳を持たず、悪さをしていないなら、そのことを悪人自らが証明するべきだと思っている。

 そこに偶然、道を通り掛かった外国人から、「いや、あんたら、悪さをしたことを証明しなければならないのは水戸の黄門様だよ」と言われると、「えっ?」となってしまう。

 もしかすると、そういう善人と悪人がハッキリとしたストレートな勧善懲悪ドラマが、日本人の推定有罪思考に影響を与えているのかもしれない。


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posted by 自由人 at 20:11 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月12日

BLOGOSの「2チャンネル移行化」


■ブログ記事数とブログ収入の無慈悲な関係性

 新年が明けてからゴーン氏関連の少しヘビーなブログ記事が続いたので、少し話題を変えて、違う話を書いてみようと思う。

 この正月に、この3年間にどれだけのブログ記事を書いたのか調べてみた。記事数は以下の通り。

 2019年 104(90)
 2018年 68(60)
 2017年 52(44)

 ※( )内はBLOGOSに転載された記事数

 調べてみて初めて気が付いたのだが、昨年に書いた記事数は2年前の2倍に増えていた。104本ということは1週間に2本程度の記事を書いている計算になる。

 記事数が2倍になったことで、ブログ収入は2倍になったのか?と気になった人がいるかもしれないので正直に書くと、逆に減少している。
 ブログ収入については、アフィリエイトの規程もあって、あまり具体的なことを書くことはできないのだが、時給に換算することはできる。

 1本の記事を書くのに1時間と計算すると、私のブログ収入は時給で100円以下だと思う。もともと、ブログで儲けることにそれほど執着がないので、この結果を見てもショックを受けることはないが、これがブログだけで生活しているような人であれば死活問題であり、継続していくのは無理ゲーだと判断することになると思う。

 趣味で書いているので時給100円でも気にせずに済むが、これが商売だと考えると、最低賃金の10分の1程度しか得られないことになる。
 世の中には、ブログを書いて億円単位のお金を稼いでいるような人もいるそうだが、私から見ると、「雲の上の人」を突き抜けて「宇宙の人」という感じがする。

 世の中にはブログを書く活動資金を得るためにパトロン(寄付金)を募っている人もいるが、その気持ちは解るような気がする。
 インターネット百科事典として有名なウィキペディアも、ネット広告に依存しないことを売りにしているため、活動資金が足らないということで定期的に有志の募金を募っている。
 ウィキペディアほどの知名度とアクセス数があれば、広告収入だけで充分に運営していけると思えるのだが、広告収入が無ければ全くのボランティア業務になってしまうということなのだろう。

■意見交換の場は2チャンネルに移行する

 少し前置きが長くなってしまったが、本題に入ろう。
 今月一杯でBLOGOSのコメント欄が停止になるというブログ記事は以前にも書いてみたが、今回は、コメント欄を停止することでどうなるか?という予想を書いてみたいと思う。

 先に答えを言ってしまうと、「BLOGOSの2チャンネル移行化」が進むと思う。

 現在でも、BLOGOSに転載された記事は、2チャンネルなどの別サイトで転載の転載がされることがある。私がブログの転載を契約しているのはBLOGOSのみ(「すごい経済ニュース」は転載ではない)なので、本来であれば、これは著作権違反ということになる。

 しかし、個人的に悪意のある無断掲載でない限り、ブログを紹介されることは有り難いことだと思っているので、特に問題視していない。

 いろんなジャンルのブログ記事を書いていて判ったことだが、BLOGOSに転載された記事のアクセス数には、大きなバラつきがある。最も少ない時のPV数と最も多い時のPV数は、1000倍以上の開きがある。

 ではどういう時にPV数が伸びるのかというと、BLOGOSに転載された記事が別のサイトに取り上げられた場合。BLOGOSの記事がLivedoorニュース等で紹介されるとグーンとPV数が上がったりする。

 ジャンルで言えば、韓国系の記事を書くと、BLOGOSの転載記事が保守系の2チャンネル掲示板で紹介されることがあるので、その時にもグーンとPV数が伸びる。

 勘の鋭い人なら、もうお気付きのことだと思うが、今後は、BLOGOSに転載された記事が、別のサイト(2チャンネル)に一部転載されることになり、そこでの意見交換が活発になるのではないかと思う。
 そのサイトから、BLOGOSの方にもアクセスする人が増えると思うので、無断転載であることが問題にならなければ、どちらもWinWinということになると思う。


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posted by 自由人 at 12:46 | Comment(0) | ブログ
2020年01月11日

「日本の有罪判決率は99.4%」は妥当なのか?


■海外よりも慎重と言うけれど…

 ゴーン氏の会見で、ゴーン氏は「日本の有罪判決率は99.4%」と述べていた。実際は99.9%とも言われているが、その辺は誤差ということにして、はたして、この99%を超える判決率は高いのだろうか、それとも低いのだろうか? いや、低いということは有り得ないので、妥当なのか?ということを考えてみたいと思う。

 まず初めにお断りしておくと、この「有罪判決率」というものは、検察が刑事事件として起訴した案件に限った数値である。ゆえに「日本ほど起訴・不起訴に慎重でない海外よりも高いのは当たり前」という意見がある。少し前に書いたブログ記事でも、全くその通りの反論を見かけた。

 日本の検察が刑事事件として起訴するか不起訴にするかを慎重に振り分けるという行為によって有罪判決率が上がるというのは理屈の上ではその通りだと思う。しかし、問題は、その数値が99.9%にまで上がるのは妥当なのか?ということである。

■検察は裁判官なのか?

 海外の有罪判決率は概ね80%以下であるので、海外よりも慎重な日本は90%になるというならまだ理解できる。90%と99.9%はあまり違いがないと思う人がいるかもしれないが、全く違う。100%−80%=20%という狭い範囲内での90%と99.9%は全くの別物と言える。

 検察が起訴した時点で99.9%有罪が確定するということは、裁判官の仕事は有罪か無罪かを決定することではなく、99.9%の確率で量刑を言い渡すことだけが仕事ということになってしまう。これが本当に正しい司法の在り方なのか?という疑問がある。

 そして、もう1つの問題は、本当は有罪とするべき罪人が、慎重さが裏目に出て、見逃されている可能性があるということ。裁判を受けるまでもなく、検察が無罪を言い渡すことになるということも無視できない問題だ。

■重要なのは「有罪判決率」ではなく「有罪分別率」

 「有罪判決率99.9%は日本の検察が優秀な証拠」と言っている人もよく見かけるが、よく考えるとこれもおかしいと思う。本当に優秀かどうかは、有罪と無罪を間違いなく分けることであり、それは有罪判決率のことを意味しない。司法において重要なことは有罪判決率の高低ではなく、有罪分別率の高低でなければならないからだ。
 ゆえに、海外が80%だからといって、必ずしも有罪分別率が低いとは限らないのである。

 子供にでも解るように喩え話をすると、もし、地獄の閻魔様が地上の裁判官たる検察に「お前はよく頑張った」と言う場合があるとすれば、それは有罪判決率が高いことではなくて、有罪分別率が高いことであるはずだ。ゴミの仕分けのように、正しいものと間違ったものを正しく分けることが優秀とされる条件であるはずだ。

 検察が起訴するか不起訴にするかを選んだ時点で、既に善人と悪人の仕分けが99.9%済んでしまっているということは、その時点が有罪分別率ということになってしまう。ということは、日本では、その時点での仕分けが正しいか間違っているかが問われるということになってしまう。

 日本の有罪判決率99.9%とは、有罪か無罪かの分別が99.9%正しく行われているということを意味していないのである。


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posted by 自由人 at 20:24 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月09日

「ミスター・インポッシブル」の使命


■ようやく実現したゴーン氏の会見

 ついに、ゴーン氏が会見を開くことになり、本人の口から日産事件の全貌…とまではいかなかったが、大体のアウトラインは知ることができた。
 会見の冒頭、これまで溜まりに溜まったマグマが一気に噴出するかのような気迫が伝わってきた。ゴーン氏本人にとっては、まさにカタルシスを感じた瞬間だったのだろうと思う。勢い余って、少し冗長になり物足りない会見だったとも言えるが、そこは御愛嬌ということで。

 本当は脱走する前に日本で会見を行いたかったのだろうけれど、なぜか会見の前に邪魔が入って行えなかったようだ。
 実際、国内で行われるはずだったゴーン氏の会見の直前になって「別件で逮捕」というような速報ニュースがテレビに出て中止になったことがあったと記憶している。
 
 昨年、ゴーン氏が逮捕されたという一報が伝えられた時は、一体どういう事件なのか?と疑問にも思ったが、いくつかの報道を観ているうちに、これは国策捜査かもしれないな…と思い、当時、そういうブログ記事を書いてみた。
 その後、様々な方面から、日産のクーデターだったというような内容の記事が出されたので、多分、そうなんだろうなと思っていた。

■運が悪かったゴーン氏

 以下、ゴーン氏の話が真実だという前提で話を進めてみよう。

 当時、フランスのマクロン大統領とルノー社が結託して日産自動車を吸収するというような噂話も出ていたので、その橋渡し役と思われたゴーン氏を排除しようとする機運が高まった。国策自動車会社の日産自動車ということもあり、日産と官僚が協力して一芝居打ったというのは考えられないことではなかったし、本当にフランス政府が日産を呑み込もうとしているのであれば、国策(官策)捜査も止むを得ないと思える部分もあった。

 しかし、ゴーン氏の会見を聞いたところでは、どうやら、ゴーン氏もかなり運が悪かったのかもしれないなと同情を抱かされた。
 元々、ゴーン氏は日産から身を引く(引退する)つもりだったようだが、辞めることを止められたことが運の尽きだったと本人も述懐されていた。
 身を引くタイミングを誤らなければ、日本の司法のことなど知らぬが仏で、今頃は悠々自適な生活を送られていたのかもしれないなと同情した。

■外圧によってしか変えられない日本のシステム

 本来であれば、この事件は日産の内部だけで済ませる問題だったのだろうけれど、フランス政府が絡んでいるかもしれないという理由から国(検察)の協力を仰いでしまったことで悲劇が起こってしまったとも言える。

 本来、日産自動車内の権力争いや派閥争いであれば、一般国民には何の関係もない話であり、なぜ国民が詐欺で騙された被害者であるかのような重大事件として扱い報道しなければならないのか? 多くの人がそんな漠然とした疑問を感じていたのではないかと思う。

 結果的に、1自動車会社の問題が国家絡みの国際問題にまで発展してしまったが、フランス政府も日本政府もフランス国民も日本国民も誰も得をしなかったというのが現状ではないだろうか。

 この事件で、1つだけ良かったことがあったとすれば、日本の人質司法問題に一石が投じられたところだけかもしれない。結局、日本の旧態依然としたシステムは、外圧によってしか変えられないということを証明してしまった事件だったとも言える。
 政府は今のところ、日本の司法には問題ないと宣っているが、これだけ世界的な問題になってしまったのだから、本音では変えていかざるを得ないと思っているのかもしれない。日本の司法関係者にも負い目を感じている人が多いのか、その部分については肯定されている人が多い。

 よりマクロな視点で俯瞰すれば、日本の閉ざされた司法を変えるためにゴーン氏に白羽の矢が立ったということになるのかもしれない。彼の使命は日産自動車を復活させることだけでなく、実は日本の司法を変えるというもっと大きな使命(ミッション)があったのかもしれない。(あくまでも希望的観測)
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posted by 自由人 at 23:04 | Comment(0) | 社会問題