2019年12月29日

『トランプ「超・保守改革」』を読んで。


■「フライト93選挙」の意味

 来年(2020年)はアメリカ大統領選があり、トランプ大統領が再選するかどうかに世界中の注目が集まっている。
 そんな中、来年の大統領選を占う書籍もチラホラと出版されつつあるようだが、以前から目を付けていた『トランプ「超・保守改革」』(早川俊行著)という本を読んでみた。

 本書は、来年の大統領選の予想をするというような軽薄な内容の書物ではなく、アメリカの実情を知るには打ってつけの書物であり、日本ではあまりお目にかかれない赤裸裸なアメリカの実情が書かれている。前書きを読むだけで、知的好奇心を刺激される内容だが、内容の方もノンフィクションとして非常に興味深く読むことができた。

 2年前(2017年)に行われた「アメリカ大統領選」は、当時、アメリカ同時多発テロでハイジャックされた飛行機名に準えて「フライト93選挙」と呼ばれた。同タイトルの論文(エッセー)には次のように書かれていたらしい。

 >「コックピットに突入せよ。さもなければ死ぬ。いずれにせよ死ぬかもしれない。コックピットに入っても、操縦方法が分からないからだ。だが、飛行機を着陸させることに成功するかもしれない。その保証はない。一つだけ確かなことがある。やらなければ、間違いなく死ぬ、ということだ

■毒(トランプ)をもって毒(左翼勢力)を制する

 上記のエッセーを超訳すると、以下のようになるだろうか。

 「左翼勢力にハイジャックされた政治を止めなければアメリカは終わる。仮にトランプが大統領になったとしても正しい政治を行わなければアメリカは終わるかもしれない。しかし、トランプが大統領になれば死を免れるかもしれない。一つだけ確かなことがある。それは、このまま黙って傍観していると間違いなくアメリカは終わるということだ

 日本のマスメディアでは一切報道されなかったので、当時のアメリカ大統領選がこのような切羽詰まった状況にあったことなど夢想だにしていなかった人がほとんどだろうと思う。
 アメリカのメディアは元より、日本のメディアでもトランプが大統領になると言っていた人は数える程しかいなかったので、そのバックグラウンド的な実情を知っていた人など皆無に近いと思われる。

 ハイジャックされた飛行機をテロリストから奪還するためには、闘争心と決断力と行動力こそが求められる。その全てを兼ね備えているかに見えたトランプ氏に一縷の望みをかけてアメリカ国民は彼に投票した。
 1932年のルーズベルト政権から84年間の長きにわたり左翼勢力に乗っ取られた“アメリカ”を奪い返すために、国民はトランプ氏に賭けた。その目的は、毒(トランプ)をもって毒(左翼勢力)を制することだった。

■「グローバル化」と「グローバリズム」は異なる

 米民主党が不法移民の受け入れに肯定的なのは、移民票を獲得するためというのは目からウロコだった。
 トランプ大統領はグローバル化に反対しているとよく言われるが、彼が否定しているのはグローバリズムというイデオロギーであって、グローバル化ではない。

 では、グローバリズムというイデオロギーとは何か?

 「それは、国家が主権の一部を国家の上位に立つ超国家機構に移譲し、その国際機構が政策決定や問題解決に当たる「グローバル・ガバナンス」を目指すという考え方だ。」(「 」内 原文ママ)

 では、それの何が問題なのか?

 それは、「民意を反映しない組織に主権を移譲して統治させるのは、明らかに非民主的だからである。…(中略)…国家の主権は政府ではなく国民にあるというのが、米国の建国の理念である。」(「 」内 原文ママ)

 アメリカの独立宣言には、すべての人が有する「生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利」は「創造主」から与えられたものだと明記されている。しかし左翼勢力の主張の基盤になっているものは「創造主」ではなく、何をやってもその人間の自由だという世俗的ヒューマニズムである。と書かれている。

■「トランプ革命」の正体

 「リベラリズム」というものが、厳格な宗教戒律からの脱皮を意味する言葉である通り、現代のリベラルという存在も、自分より上の上位概念というものがスッポリ抜け落ちている人が多い…と言うよりも全員が見事なまでに無神論者となっている。これも「宗教は阿片」と言ったマルクスの影響なのだろうけれど、他人が見ていなければ好き勝手し放題で構わないという放埒の自由を信奉する日本の似非リベラルにも通底するものがある。
 現代のアメリカには自虐思想が蔓延しているそうだが、自虐思想と似非リベラル思想は決して無関係ではない。

 トランプ大統領の行っていることは、100年前に起こったロシア革命の裏返しでもある。1億人以上の犠牲者を出した暗黒の20世紀を終わらせるために、全世界規模のアカ狩り(リベラル狩り)を行っているというのがトランプ革命の正体なのだろう。

 本書の副題「神と自由を取り戻す!」とは、左翼勢力によって消されようとしている神と、その神から与えられた本当の自由を取り戻すということを意味しているのだろうと思う。

 杞憂ながらも、トランプ大統領の再選を心より願わずにはいられない。



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posted by 自由人 at 20:25 | Comment(0) | 読書
2019年12月23日

「ネトウヨ」という空想の産物


■「右傾化」という言葉の勘違い

 ネット上では、よく「ネトウヨ」とか「右傾化」という言葉を耳(目)にする。
 私もたまに保守的なブログ記事を書くと「ネトウヨ」とか「ネトサポ」とか言われることがあるのだが、どうも釈然としないものがある。
 私自身、「ネトウヨ」などという認識はまるでなくて、ごくごく普通のことを書いているという感覚しか持っていないので、「ネトウヨ」などと言われると「えっ?」と思うことがある。それはちょうど、平均身長の人間に対して「チビ」だとか「ノッポ」と言われているような感覚かもしれない。

 「ネトウヨ」という言葉は、単純に「右翼的な」という意味になるのだろうけれど、現代の日本に右翼的な思想を持った人などほとんどいないのではないかと思う。反面、左翼的な思想を持った人なら、ごまんといる。

 日本の場合、戦前は自由主義、戦中は右翼全体主義、戦後は左翼全体主義と変遷してきたので、どうしても左翼的な思想を持った人が多くなる。それ以前にも、大正デモクラシーから昭和初期にかけては大不況の影響も手伝ってかマルクス主義が流行したこともあり、思想自体が全体的に左に寄り過ぎているきらいがある。

 実際、戦後間もない頃は、「左翼でなければ人間ではない」というような風潮があり、左翼であることが進歩的とされ、左翼であることが知識人としての必須条件というような時代が本当にあったことはよく知られている。

■本当のシーソーを知らない子供達

 それゆえに、現代でも多くの日本人の思想は左寄りのまんまであり、彼らが言うところの「右傾化」というのは、単に思想的なアンバランスさが解消されつつある現象に過ぎないのではないかと思う。つまりは、「左傾化」した地点から見た姿でしかないということである。

 「思想」と言葉が似ている「シーソー」を例にすれば、これまでずっと大きく左側に傾いていたシーソーが、少し持ち上がって水平に近付いている現象をとらえているに過ぎない。シーソーが水平に近付いている状態であることを「右傾化」とは言わない。
 「右傾化」とは、シーソーの右側が下がっている状態のことを意味する。こんなことは公園で遊んでいる子供にでも解ることである。
 目の前にあるシーソーの左側が持ち上がり水平に近付いていく姿を見て、誰が「右に寄った」などと言うだろうか? 普通の子供なら、「見ろ、シーソーが水平に近付いているぞ」と言うはずだ。

 左側のシーソーに乗っている子供達は、シーソーが右側に下がった状態を経験したことがない(=上からシーソーの全体像を眺めたことがない)ため、水平になることをもって「右傾化」と思っているのかもしれない。
 シーソーが水平になること、または水平に近付いていくことは、ごく自然な姿であり、どちらか一方に下がったまんまの方が不自然でアンバランスな姿だと言える。ずっと左側が下がっている状態しか経験していないため、シーソーとはそういうもの(=左に傾いているもの)だと思い込んでしまっているのである。

 日本には、戦争をしたいなどと思っているような人は滅多にいない。いるのは戦争を回避したいと思っている人間だけであり、その戦争を回避するためには「武器を備える」か、それとも「無防備でいる」かという違いがあるだけである。

 ところが現代の日本では、前者がネトウヨと揶揄され、後者が普通の人になるという傾向がある。ちょうど、アメリカで言うところの拳銃を持つか持たないかという議論に近いと言えるのかもしれない。

 世界の子供達はシーソーが右側にも傾くものであることを知っているが、日本の多くの子供達は知らない。シーソーが右側が傾くことに拒絶反応を示す子供達、それが多くの日本人の姿であり、世界の非常識と言われる所以でもある。

 なお、ここで述べた「子供達」というのは比喩であり、本当の子供を意味しない。(念のため)
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posted by 自由人 at 19:54 | Comment(0) | 思想
2019年12月22日

バランスの取れた生活こそが健康の基本


■101歳の現役医師が心掛けている生活

 今朝、新聞を開くと、ある本の宣伝が載っていた。書名は『101歳現役医師の死なない生活』(田中旨夫著)。スマホを使いこなす101歳の現役医師が心掛けていることが箇条書きで書かれていた。少し長くなるが、備忘録として記載しておきたいと思う。(新聞ではなくamazonサイトより一部転載)

 毎日30分の散歩で死ぬまで歩ける体になる
 太陽の光を1日15分浴びて認知症やがんを防ぐ
 昼寝の習慣をつけて、疲れ知らずになる
 毎朝、足腰の柔軟体操をする
 体には軽めの運動が一番いい
 ねこ背になっていないか、常に意識する
 「体によい習慣」を生活に根づかせる
 毎日15種類以上の野菜をとる
 野菜をとって体のサビを落とす
 ベジタブル・ファーストで脂肪を減らす
 粗食ではなく、肉をしっかり食べる
 ヨーグルト、チーズなどの発酵食品を欠かさない
 果物は少量でも毎日食べる
 体の土台となるカルシウムをたくさんとる
 老化を防ぐオリーブオイルをとる
 週一回、薬膳スープで細胞をよみがえらせる
 くつろいでいる時間に緑茶を楽しむ
 甘いものを食べない習慣をつける
 中高年は糖質制限をしないほうがいい
 塩分を減らして素材を味わう
 トランス脂肪酸を含むパン、お菓子、インスタントラーメンは食べない
 加工食品を口にしない
 水を1日に2リットル飲んで血行促進!
 薬は必要最低限に抑える
 体を甘やかすと衰えやすい
 ストレスが少しあるほうが体にいい
 何でも「ほどほど」の感覚で暮らす
 ボケ防止には脳トレではなく、楽しいことをする
 イライラすると損をする
 「今日からあと10年は頑張る」という決意を毎日する
 死ぬまで未知のことに挑戦する
 「できない」ことより「できる」ことに目を向ける

■全てはバランスの問題

 こうやって眺めてみると、いろんな健康本に書かれていることと重複している部分が大半なので納得できる内容だが、ここでは世間一般では意見が真っ二つに分かれている以下の3点に絞って感想を述べてみたいと思う。

○粗食ではなく、肉をしっかり食べる
○中高年は糖質制限をしないほうがいい
○水を1日に2リットル飲んで血行促進!


 まず、「粗食よりも肉が良い」という意見だが、世間では肉を食べると長生きできるという意見と、肉を食べ過ぎると病気になると意見が根強くある。
 一口に「肉」と言っても、赤身の肉、脂肪肉、加工肉など、様々なものが存在するので、ひとまとめにするのは少し乱暴だと思う。

 元気な高齢者には、なるべく肉を食べるようにしている人が多いと言われている。しかし、その肉というのは、おそらく「赤身の肉」のことであり、加工肉はあまり食べないという人が多い。本書にも「加工食品を口にしない」と書かれている通り、加工されていない肉の方が健康には良いということなのだろう。
 無論、これもバランスの問題であり、食べ過ぎてもいけないことは言うまでもない。

 次に「中高年は糖質制限をしないほうがいい」という意見。私も糖質制限経験者なので書かせてもらうと、これは中高年に限らず、あまり糖質制限し過ぎるのは身体に負担がかかると思われる。糖分を摂り過ぎて肥満の人や糖尿病の人が糖質制限するのはプラスだと思うが、普通の体型の人がそれ以上に痩せようと思い炭水化物を一切口にしないというのは行き過ぎであり、あまりオススメできない。自分にマッチした適度な糖質制限でよいと思う。

 極度な糖質制限をすると便秘になる人が多く、栄養のバランスが崩れる(不足する)と、脱毛する場合もあるようなので、栄養バランスというものにも注意した方が良いと思う。
 これもバランスの問題であり、過ぎたるは猶及ばざるが如しというのが正しいと思う。

 最後の「水を1日に2リットル飲んだ方がよい」というのは、何年か前に話題になったことがある。全米で100万部売れたベストセラー『病気を治す飲水法』という本を以前に読んだことがある。非常に興味深い本だったが、万人が1日に2リットルもの水を飲むというのは、ちと乱暴な意見かなと思えた。

 以前、みのもんた氏がテレビ番組の中で、老人に水を毎日2リットル飲むことを勧め、実際に毎日2リットルの水を飲んで死亡した老人の家族が、みのもんた氏を訴えた事件もあったぐらいなので、万人には適用できないと思う。
 やはり、これもバランスの問題であり、日頃、肉体労働で大量に汗をかく人と、一日中ほとんど動かず、発汗もしない人とを一緒にするのは無理があると思う。

 結局、全てはバランスの問題ということに落ち着いてしまったが、健康な生活とは、畢竟、バランスの取れた生活に他ならない。著者も書かれている通り「「体によい習慣」を生活に根づかせる」、それが健康の秘訣なのだろう。


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posted by 自由人 at 11:33 | Comment(0) | 健康
2019年12月14日

『絶海の孤島』の社会学


■「日本は世界で最も成功した社会主義国」

 かつて、ソ連のゴルバチョフ書記長は日本を訪れた時に次のような言葉を述べたという。

 「日本は世界で最も成功した社会主義国だ

 言葉のニュアンスは若干違うかもしれないが、要は、日本は理想的な社会主義国家だということを述べられたらしい。

 「日本人と話すと共産主義が伝染る」という中国人のブラックジョークもあるぐらいなので、さもありなんと言ったところだが、ゴルバチョフ書記長が日本に旅行して直ぐさま直観的に「この国は社会主義国家だ」と解るわけはないので、日本に来る前からゴルバチョフ書記長の頭の中には「日本は社会主義国家」という認識があったということになる。

■戦争当時、社会主義に傾倒していたアメリカ

 日本は戦時経済体制が社会主義だったので、戦後もそのまま延長して社会主義になったという説もあるが、これは少し違うということがソ連が崩壊した後で判ってきた。
 日本は戦後、占領軍(GHQ)の占領政策によって、軍国主義から民主主義に変わったという説もあるが、これも全く違っている。

 1920年代の大不況によってアメリカ国内では「資本主義はもうダメだ」という悲観論が蔓延り、あろうことか、ソ連の社会主義(共産主義)に憧れを抱いている人が数多くいた。
 太平洋戦争(大東亜戦争)当時、アメリカは自由主義ではなく、社会主義に傾倒していたため、日本の占領政策には自由主義的な思想ではなく、社会主義的な思想を注入することになってしまった。

 その後、アメリカは1950年頃の朝鮮戦争を機に、この間違いに気付いたものの既に時遅しで、日本は戦後、社会主義の実験島として歴史を刻んでいくことになった。
【参考文献】日本人としてこれだけは知っておきたいこと(中西輝政著)

 立地的に絶海の孤島として存在していた日本は、思想的にも絶海の孤島となり、日本でしか通用しないルールが数多く創り出された。そのせいもあってか、本当の自由主義も民主主義も理解しないガラパゴス化した評論家や思想家が数多く輩出することになった。

■「中国に必要なのは、かつての日本的な精神」

 本来であれば、戦後、日本はアカ化して崩壊する予定だったのかもしれないが、精神性の高い日本人の気質が幸いして、アカ化は免れ、間違いに気付いたアメリカの庇護の元、奇跡的な経済発展を遂げる幸運に恵まれた。

 「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」という言葉の裏には、「なぜ、日本は社会主義でも成功することができ、ソ連は行き詰まってしまったのか?」という問いかけが潜んでいる。
 ソ連に無くて、日本に有ったもの、ソ連の労働者にはなく、日本の労働者が持っていたもの、それは高度な倫理観に基づいた勤勉の精神であり、資本主義の精神だった。

 ゴルバチョフ書記長は、戦後、日本が歩まざるを得なかった歴史と日本人の精神性を理解されていたのだろうと思う。
 もし、ゴルバチョフ書記長が現代の中国に訪れた場合、彼はこう言うかもしれない。

 「中国に必要なのは、かつての日本的な精神である

 倫理観を持たない社会主義国家は滅びる。それは、戦後の日本を研究すれば自ずと理解できることだと思う。
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posted by 自由人 at 23:42 | Comment(0) | 国際問題
2019年12月10日

神奈川県庁のデータ流出問題は何が問題なのか?


■問題の核心は「信用業務」だったこと

 神奈川県庁が使用していたファイルサーバーのHDドライブが転売され、個人情報が流出してしまったということで、情報流出元のブロードリンク社が批判に晒されている。

 このデータ流出問題は、一般的には管理体制に問題があると言われているが、その管理体制のどこに問題があったのかと言えば、信用業務だった部分が大きいと言える。その「信用」とは何を意味するかと言えば、「目に見えない作業をどこまで信用するか」という問題である。

 データの入ったHDを廃棄する業者の仕事は、HDにドリルで穴を開けて使用できなくすることだが、中には、その穴を開けたHDの写真を撮影して依頼人に送信してくれる業者もいる。
 HD廃棄業者には、実際に目の前でHDを破壊する業者と、取り敢えずHDを預かって後で廃棄しますという契約書だけで済ます業者がいる。
 当然のことながら、後者はきちんとHDを破壊してくれるという信用だけで成り立っている仕事だとも言える。言い換えれば、今回の事件のように、いくらでも騙しが通用するということでもある。

■業務のブラックボックス化が齎すトラブル

 私の場合、使用しているパソコンが寿命を迎えると、HDだけ取り外してパソコン本体のみを廃棄するようにしているので、取り外したHDは部屋のインテリアになっている。そのうち、自分で破壊することになると思うが、業者に任せようとは思わない。
 自分の目の前でHDに穴を開けてくれない限り、データの入ったHDを他人に預けるような真似は絶対にしたくない(穴を開ける前にデータを盗まれる可能性がある)ので、いくら信用があっても、そういった業者には頼んだことがない。

 先に述べた通り、HDの場合、HDを廃棄する(穴を開ける)作業が消費者に見えないブラックボックスとなっている場合があるため、穴を開けなければ中古HDとして売ることができる。きちんとHDを物理フォーマットして売ってくれるのであれば特に問題は発生しないのだろうけれど、今回のようにデータがそのままの状態だった場合、思わぬトラブルに巻き込まれることになる。

 考えれば、世の中にはブラックボックス化している仕事というのは多々ある。そういった仕事は全て仕事をする人の責任感と倫理観を信用するしかないが、中にはそういったものを持ち合わせていない不届き者もいるので、全てを信用してしまうのも考えものだ。

■業務のホワイトボックス化が必要

○例えば、今回のようなハードディスクの廃棄の場合

 「これを破壊せずに転売すれば儲かるな。まあバレなければ大丈夫だろう

○エンジンオイルの交換の場合

 「まだエンジンオイルを換える必要はないので、換えたということにすれば儲かるな。まあバレなければ大丈夫だろう

○病気の治療の場合

 「もう通院する必要はないが、適当に理由を付けて、もう2〜3回、通院してもらえば儲かるな。まあバレなければ大丈夫だろう

 と、こんな具合になるケースが無いとは言い切れない。

 全てはブラックボックス化、つまり、目に見えない、または知識が無いので分からないということを起因として発生する出来事である。

 真面目に働いている人間に対して、こういう疑いを持つのは、あまりよろしくないと思うが、実際に起こっても不思議ではない出来事でもある。

 日本人の場合、倫理観が確りしている人が比較的多いと思うので、こういう騙しはあまり無いことを信じたいが、倫理観の欠如した国では、こんな騙しは日常茶飯事なのかもしれない。

 データは目に見えないものだが、データを記憶したHDは目に見える物であるので、極力、目に見える形で破壊することを基本とし、ホワイトボックス化(見える化)していった方が良いと思う。このての事件を完全に無くすには、それしか手はないと思うが、それ以前に、以下のようなイレースソフトでHDのデータを抹消した上で、業者に持ち込むのがベターだろう。

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posted by 自由人 at 23:06 | Comment(0) | 社会問題
2019年12月08日

BLOGOSコメント書き込み停止にみる諸行無常


■残念なBLOGOSコメント書き込み停止

 来年(2020年)の1月一杯でBLOGOSがコメント書き込み機能を停止するという発表があった。
 BLOGOSの転載記事よりもコメント欄を読むことが楽しみだった者からすると、かなり残念な改変だと思えるが、元からコメント欄を閉じられているブロガーも結構いたので、別になんとも思わない人や、逆に良い判断だと思っている人もいるのかもしれない。

 何年か前までは、BLOGOSのコメント欄にはBLOGOSの会員でなくてもコメントすることができた(と記憶している)。当時は現在よりもコメントする人が多かったが、あまりにも匿名性が高いためか、誹謗中傷的なコメントも散見されるようになり、コメント欄を閉じられるブロガーも増えてしまった。

 そのため、コメントはBLOGOSの会員にならないとできないということになった。匿名性が少し低くなったせいか、コメント欄は以前よりも安定した。しかし、コメント数は大きく減少することになってしまった。

 BLOGOS会員には一人一人会員番号が振られており、現状、新しく会員になった人の会員ナンバーは17万台となっているようなので、会員数は17万人位(退会者も含む)いることになるのだろうか。(単純な連番であればの話)
 そう考えると、コメントする人よりもコメントをしないリードオンリーな人の方が圧倒的に多いということになる。

■コメント数と匿名性の皮肉な関係性

 そんな理由もあって、今回の判断に繋がったのかもしれないが、今後はより匿名性が低いFacebookを利用したコメント欄になるらしい。
 現在でも「BLOGOS Facebook」でググれば、Facebookのコメントは読むことができるのだが、コメント数はそれほど多いわけではないようだ。
 BLOGOSの「支持する」よりもFacebookの「いいね」の方が多くなる傾向にあることも、今回の判断に繋がっているのかもしれない。

 コメント数と匿名性の高さは反比例の関係にあることは否定できない。皮肉なことに匿名性が上がれば上がるほどコメント数は増える(閲覧者も増える)ことになる。2チャンネル掲示板にあれだけ多くのコメントが付くことがそのことを如実に証明している。
 営利団体としては匿名性が高ければ高いほどメリットが高くなるが、営利団体としてはリスク回避のために匿名性を低くしていかざるを得ないのかもしれない。

 ネット社会は諸行無常、そんな感想を抱いた。
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posted by 自由人 at 10:52 | Comment(0) | コラム
2019年12月04日

人類が存在しなければ地球は寒冷化するのか?


■COP25で「化石賞」に選出された日本

 マドリードで開催されたCOP25【国連気候変動枠組条約締約国会議】において、日本は地球温暖化対策に消極的な国として「化石賞」(不名誉な賞)に選出されたらしい。

 二酸化炭素の排出量によって地球温暖化が促進されるという意見は、まるでそれが真実であるかのように伝えられている向きがある。
 テレビを観ていると、たまに「南海トラフ地震は100%起こる」と断言している人を見かけることがあるが、ある意味、これと似たようなもので、単なる思い込みだけで真実と決めつけられているような気がする。

 「南海トラフ地震」が発生するというのは、過去の統計に照らせば発生する確率が高いというだけの話であって、必ず起こると断言できるようなものではない。統計的に言えば、南海トラフ以外の場所で先に巨大地震が起こる可能性の方がはるかに高い。
 「地球温暖化」にしても本当のことだと断言できるような事実は残念ながら判明していない。単に「二酸化炭素が増えれば温暖化する」という仮説を参考にしているに過ぎない。

 私が個人的に「地球温暖化説」に懐疑的なのには理由がある。それは以下の一言に尽きる。

 「人類が存在しなければ地球は寒冷化するのか?

 「地球温暖化説」を唱えている人間であれば、この命題に答えなければならないが、おそらく誰も答えられないと思う。

 二酸化炭素の排出量が増えれば増えるほど地球が温暖化すると言うのであれば、二酸化炭素の排出量が減少すればするほど地球の気温は下がっていくことになる。それが「地球温暖化説」を唱えている人間の単純な理論だと思うが、もし、二酸化炭素を排出する生物(主に人間)がいなくなれば、気温が下がるだけでなく、地球は寒冷化するのだろうか?

■「地球温暖化教」という宗教

 人間の活動だけで地球の気温が左右されるというのは、よくよく考えてみると、にわかには信じ難い話である。

 逆に言えば、もし、現在の地球が寒冷化に向かっているのだとすれば、どのような対策があるのだろうか? その場合は「じゃんじゃん火を燃やして、二酸化炭素を発生させてください」とでも言うのだろうか?

 これは冗談ではなくマジな話である。実際に現代の人類が行っていることは、「極力、火を使わずに二酸化炭素の量を減らしてください」と言っているだけなのだから。

 正直なところ、個人的には、そんなことは有り得ないのではないかと思う。たかが数十億人の人間が火の使用量を調整するだけで地球の気温を調整できるなどとは到底信じられない。

 家や工場という建物内の温度は、暖炉やエアコンのように使用する火の量を調整することによって上下させることは可能だろうけれど、この広大な地球全体の気温を人間が使用する火の量を調整する程度で本当に操れるものなのだろうか? もし本当に操れると思うのであれば、それこそが人間の思い上がりであり傲慢な態度だと言えないだろうか?

 もし、近い将来、二酸化炭素が地球温暖化の犯人(主犯)ではなかったと判明するようなことになれば、現在の二酸化炭素の排出量をゼロにするというような計画は、文明を破壊する妄説だったと言われることになる可能性がある。
 21世紀初頭に「地球温暖化教」という間違った宗教が存在したと史実に書き記される時が来るのかもしれない。

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posted by 自由人 at 22:57 | Comment(0) | 環境問題
2019年12月01日

「ジャパンライフ」を招待したことは罪なのか?


■「ジャパンライフ」の商品広告を新聞に掲載していた新聞社

 「桜を見る会」にマルチ商法の反社会勢力「ジャパンライフ」が招待されていたことが判明したことによって、野党4党および一部のマスコミが激しく追及していたが、ここにきて、多くの新聞社が「ジャパンライフ」の商品広告を新聞に掲載していたことが判明した。

 マスコミにとって不都合が事実が判明したことで、今後はマスコミの批判も潮が引いていくようにフェードアウトしていくことになるのかもしれない。

 この件で言えることは、何年も前のことを遡ってまで責任を追及することは無理があるの一言に尽きるということ。その時点で詐欺が発覚していたのならともかく、詐欺が公に判明していなかったことまで責任を追及することは法的にも御法度な行為だと言える。

■「罪が発覚する前」と「罪が発覚した後」は別物

 ジャパンライフの詐欺が発覚する前に新聞社がジャパンライフの商品広告を載せようが、安倍総理が「桜を見る会」に招待しようが、それは罪とは言えない。その会社が詐欺を働いていたことに気がつかなかったというだけのことであり、見る目が甘かったと認めればそれで済む話である。
 
 ジャパンライフを「桜を見る会」に招待していたことで安倍総理が責任をとって辞任しなければならないということであれば、同じ理屈でジャパンライフの商品を新聞に載せていた新聞社も店を畳まなければならないということになる。本当にそれで良いのか?と言えば、良いわけがないだろう。

 日本では、ある会社の社員が犯罪行為を起こせば、その会社の上司や社長にまで責任を追及するという悪い習慣があるが、今回の件もそれに近い構図だと言える。

 その昔、マスコミは、犯罪集団と判明する前のオウム真理教をテレビのバラエティ番組などに出演させて持ち上げていたことがある。これなどは、ジャパンライフの商品広告を新聞に掲載することよりもはるかに罪深い行為だと思えるが、それでも罪は問われておらず、責任も追及されていないだろう。

 「罪が発覚する前」と「罪が発覚した後」では対応が変わる、ジャパンライフの場合もこれと同じだ。ジャパンライフの罪が発覚した後に「桜を見る会」に招待していたというなら大問題だが、罪が発覚する前に招待していただけなら、それほど大きな問題ではない。
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posted by 自由人 at 11:43 | Comment(0) | 政治