2019年08月05日

『表現の不自由展』が齎した「表現の自由」


■『表現の不自由展』問題の盲点

 「あいちトリエンナーレ2019」における『表現の不自由展』が中止になったことが問題視されている。

 従軍慰安婦や天皇陛下を扱った展示物が並んでいるとのことで、多くの苦情が寄せられ、中止にせざるを得なくなったということらしいのだが、少し前にもこれとよく似た事件があった。
 それは言うまでもなく、百田尚樹氏による学園祭の講演会が中止に追い込まれた事件である。
【関連記事】現代社会における学園祭(講演会)のあり方

 しかしながら、この2つの事件には大きな違いがある。それは何か?
 「催しが行われた後の事件」と「催しが行われなかった事件」という違いである。

 今回のトリエンナーレの場合は前者であり、催し自体は無事に開催されたが、入場した客がその展示物を見て苦情を言ったという話である。しかし、後者の百田氏の場合は、講演会自体が行われてもいない(内容自体が判明していない)のに講演会が中止に追い込まれた。どちらが「表現の自由」を妨げる行為なのかは言うまでもないと思う。
 同じく「表現の自由」問題だと言っても、そういう大きな違いがあることを見落としてはいけない。

■『嘘を言うことの不自由展』【「表現」と「虚偽」の違い】

 『表現の不自由展』に苦情が入ったことで「表現の自由を妨げるものだ」とする意見があるようだが、催し自体は無事に行われたわけだから、「表現の自由」は守られたことになる。
 そして、その「表現の自由」に対して文句を言うこともまた「表現の自由」であり、苦情を許さないと言うのであれば、それこそが「表現の自由」を妨害するものであることを知らねばならない。

 それに、前回のブログ記事にも書いた通り、従軍慰安婦報道は誤報だったと天下の朝日新聞が認めている。それが判っていながら、慰安婦像を国内に展示することがなぜ「表現の自由」になるのだろうか?
 政治家の像を展示することは「表現の自由」の範疇かもしれないが、慰安婦像を置くことは「表現の自由」ではなく「虚偽の自由」になる。

 政府や権力者に都合の悪いことが表現できないことを「表現の不自由」と言うのであれば、従軍慰安婦報道は虚偽の報道だったわけだから、「表現の不自由」云々の話ではなく、虚偽の表現が許されるかどうかという問題になってしまう。
 そう考えると、慰安婦像の展示に限って言えば、『嘘を言うことの不自由展』になってしまうが、そんな都合の良い自由があるはずもなく、当の朝日新聞が真実を報道する前ならいざ知らず、真実が明かされた後に「表現の不自由だ」と言うのでは筋が通らない。

 国内でこういう問題が表面化した背景には、件の「ホワイト国」問題があり、日韓関係の悪化が招いた事件だったと言える。
 そして、それは日本の韓国に対する「表現の不自由」が緩和されたという意味で良い兆しなのかもしれない。
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posted by 自由人 at 20:31 | Comment(0) | 社会問題