2019年06月28日

「日本株式会社」の例え話【政治編】


■日本株式会社における政治家の立ち位置

 日本という国を「株式会社」に例えた話はよく耳にする。大抵は公務員とサラリーマンの関係を表したもので、総務部や経理部がお役所に該当し、営業部や技術部は民間企業に該当する例え話が一般的だ。
 この例え話は、営業職や技術職よりも事務職の方が給料が高いという本来とは逆の社会を皮肉った寓話としてよく使用される。

 しかし今回は、そういった一般的な例え話ではなくて、日本の政治というものを「株式会社」に例えてみればどうなるかを考えてみたいと思う。

 まず初めに、「日本株式会社の社長とは誰だろうか?

 こう尋ねると、ほとんどの人が「安倍総理」と答えるのではないかと思う。しかし、残念ながら、それは間違っている。

 日本株式会社における安倍総理の立ち位置は、おそらく「営業部長」程度だと思う。ちなみに麻生副総理は「営業次長」と言ったところかもしれない。

 民間企業では通常、「営業部長」の立場にある人物は会社の顔として営業活動することはあっても、会社の経営方針を直接的に決定することはできない。経営方針の決定権を有しているのは、取締役クラスになる。

 だから、安倍総理が「消費税の増税を待った方がよろしいのでは?」と取締役に意見することができたとしても、独断で決定する権限はないということになる。
 同じように、麻生副総理が「予定通り、消費税を上げます」と言っても、それは本人の直言ではなく、取締役達の意見を代弁しているようなものとも言える。

■日本株式会社の「見えない取締役」達

 では、日本株式会社を動かしている取締役とは誰なのか?と言うと、もちろん、官僚達である。日本の場合、選挙を通じて政権交代したとしても、変化するのは部長職以下であって、取締役達は変わらない。
 アメリカでは、政権が変わると政治家だけでなく数千人いる官僚も全て入れ替わることになっている(=猟官制)が、日本では官僚はメンバーチェンジせず、そのまま居残るシステムになっている。

 日本株式会社の株主は納税者である一般国民だが、経営陣がデタラメな経営を行ったとしても責められるのはいつも部長職以下で、取締役達は責任を追及されないような構造になっている。
 消費税の増税を影で決めているのが取締役でも、消費増税によって不景気になると責められるのは部長になる。
 
 取締役(官僚)の罪が全て部長以下(政治家)のせいになってしまうのは、ここ数年の出来事をつぶさに観察すれば、なんとなく分かるのではないかと思う。

 日本株式会社が100階建ての高層ビルだとすると、途中の階まではガラス張りのオープンな民間企業だが、途中から上の階はスモークガラスのクローズドなお役所になっている。
 株式会社であるにも拘らず、そのビルの高層階は株主(一般国民)とは無縁の世界で立ち入ることが出来ない空間となっている。そのベールに包まれた空間は、昔からこう呼ばれている、「官僚天国」と。
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posted by 自由人 at 23:22 | Comment(0) | 政治
2019年06月25日

「国家」の無い社会は有り得るか?


■国家を無くすことは不可能に近い

 BLOGOSのコメント欄を読んでいると、よく「自由人なのに、リベラルを批判するのはおかしい」とか、「自由人なのに、国家を肯定するのはおかしい」というような意見を目にする。

 ペンネームの「自由人」の意味は、BLOGOSのプロフィール欄を見ていただければ判る通り、「自由に考える」と書いてあるのだが、スマホでの閲覧は小さな文字なので目に入らないのかもしれない。
 「自由に考える人」が必ずしも「リベラリスト」である必要はないだろうし、「リバタリアン」である必要もないと思うのだが、意図してか、意図せずしてか、批判の矛先はいつも「自由」というキーワードに結び付いてしまうようだ。

 私もほんの一時期「リバタリアン」というものに少し惹かれたことはあったものの、現在は全く興味がなくなった。と言うか、国家を無くして個人だけで成り立つ社会というのは不可能に近いと思うに至った。

 おそらく、世の中の「リバタリアン」と言われる人々は、個人の才能だけで生きていけると思えるほどに優秀で仕事ができる人が多いのだろうと思うが、本当に国家を無くして生活できるのかをよくよく考えてみると、かなり無理があると思う。むしろ、国家というものがあるがゆえに、そのような自由過ぎる発想が出てくるのではないかとさえ思える。

■警察のいないアナーキー社会

 例えば、あなたに若い娘がいたとして、その娘が近所の暴力団に誘拐され、暴力団事務所に監禁されている場合をシミュレーションしてみよう。

 その場合、あなたがどういう行動に出るかと言えば、普通は警察に相談するだろう。単身で暴力団事務所に殴り込みに入るような漫画の主人公のような人はともかくとして、普通は「娘が暴力団に誘拐されたのでなんとかしてください」と警察に懇願するのではないだろうか。
 そして、警察官が暴力団事務所に乗り込んで、娘を奪い返してくれれば、「助かった…」ということになるだろう。

 しかし、もし国家というものが無くて、警察という組織も無ければどうなるだろうか?
 民間の警察や用心棒やパトロールはいるかもしれないが、そういった人々が本当に暴力団の事務所に乗り込んでくれる保証があるだろうか?
 多額のお金を支払えば、命の危険を冒してでも乗り込んでくれる人はいるかもしれないが、法的にその暴力団を拘束する権利も逮捕する権利も持たないのであれば、一時的に解決できたとしても、またいつ何時、暴力団に狙われるか分からない。そんなアナーキーな社会では、安心して眠ることもできないだろう。

■国家は頼りになる最強の暴力団

 ところが、国家権力をバックにした警察であれば、暴力団を拘束する権利も逮捕する権利も有しており、民間の警察と違って、多額のお金を請求されることもない。この絶対的な安心感は、どこからくるのかと言えば、偏に「国家権力」という最強の暴力団が用心棒になっているところにある。

 「国家とは人間の富を略奪する無敵の暴力団である」というのは、経済学者の故竹内靖雄氏の言葉だが、見方によってはこれほど頼りになるものはない。
【参考文献】『国家と神の資本論』(竹内靖雄著)

 ただし、「最強の暴力団」というだけあって、その組織自体が腐敗すれば、ホッブスが言った通り、手の付けられない無敵の怪獣になってしまうので、暴走しないように常に監視する必要はある。如何に頼りになる番犬でも、狂犬病ウイルスに感染すると飼い主まで傷付ける最凶に恐ろしい化け物に変化してしまう。

 上記は、あくまでも譬え話だが、トータル的に見れば、普通に生活している善良な一般人にとっては国家の存在はプラスになる場合が多いと思う。

 少し話は逸れるが、北朝鮮に誘拐(拉致)された人々(拉致被害者)を奪い返すことができないのも、ここで言うところの国家権力の役割を果たすものが存在していないからとも考えられる。それはつまり「軍隊」だ。
 日本は敗戦後の諸事情によって、自国の国防を他国(アメリカ)にアウトソース(外注)しているという世界でも稀な国だが、自前の「軍隊」を持たないアナーキーな国家だからこそ、拉致問題が発生したとも言える。

 法を犯す悪人(泥棒・暴力団・テロリストetc.)にとっては国家権力はこの上なく邪魔な存在かもしれないが、善良な一般人には国家権力は必要だと思う。
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posted by 自由人 at 22:35 | Comment(0) | 経済
2019年06月23日

「反権力シンドローム」という病


■日本の反権力思想の正体

 香港における史上最大規模のデモが、世界中の人々から賞賛されている理由は、偏に、人権や自由を圧殺しようと目論む中国共産党に対する憤りからであることは言うまでもない。
 しかし、日本ではそうは思っていない人達もいるようで、香港デモと日本で報道されるデモを同列に扱っている人もいるようだ。
 図らずも今回の香港デモは、一部の日本人の反権力思想の正体をあぶり出すリトマス試験紙の役割を果たしてくれたようだ。

 これまで中共のスパイのように思われていたような人々の一部が、実は単なる反権力だけが目的だったということが判明した。これは、香港デモが齎した想定外の収穫だった。これは喜ぶべきことなのかもしれないが、ある意味では、実は非常に危険なことなのかもしれない。

■「反権力」が正義という病

 かつての学生運動は当時の若者の「ファッション」だったと言われることがある。思想的な中身は全く理解しないまま、ただその時代の空気に踊らされた若者という意味では「ファッション」というのは実に的を得た言葉だと言える。

 中国と日本の立場の違いを考えずに、ただ闇雲に香港デモを賞賛している人々は、ただ、国家権力を批判することさえできれば、それがどのような国家権力であろうと構わないという、言わば「反権力症候群(シンドローム)」というような状態にある。

 アメリカに生まれればトランプ大統領を批判し、中国に生まれれば習近平を批判し、日本に生まれれば安倍総理を批判する。その症状は、思想的に、右も左も関係なく、ただ、下(小)から上(大)に向かって「反権力」を叫ぶことが正義という病でもある。

 中国共産党は日本から見れば、思想的には「極左」に位置する。だから、左翼系のマスコミや言論人はシンパシーを感じて批判しないという思想的事情もあるわけだが、ただ、反権力だけが目的の人々には、そういった縛りが無いため、思想ではなく反権力デモにシンパシーを感じるということなのかもしれない。加えて、そのデモの良し悪しにも拘らない。暴れようが暴れまいが関係なく、ただ反権力という姿勢であればハイになるという病だ。

■思想を知らずに犯すデモの危険性

 しかし、ここで考えなければならないのは、「知って犯す罪」と「知らずに犯す罪」のどちらが性質(たち)が悪いかということである。
 思想を知った上で人を煽動する行為と、思想を知らずに人を煽動する行為のどちらが悪質か?
 普通に考えると、思想を知った上で人を煽動する方が、確信犯なので悪質と考える人が多いかもしれないが、実際のところは、思想を知らずに人を煽動する行為の方が悪質だと言える。

 なぜなら、そこには罪の意識が全く働かないからである。自らが正義と思い込み、罪を犯している意識が全く無いほど罪深いことはない。どんな悪人でも良心が芽生える可能性があるが、悪を行っているという自覚のない人には良心が芽生える余地がないからだ。解り易く言えば、間違いを認めようにも認められないということ。

 具体的な例で言えば、中国と日本の思想的違いを全く考えずに「平和憲法を変えると戦争になる」というようなことを絶対的な正義だと思い込んでいるような人は、自らが他人を戦争(占領)に巻き込む危険を犯していることにも気付かない。「憲法改正反対」と叫ぶことが、まるでファッションであるかのようにその時代を生きる。しかし、時が過ぎ、それ(占領)が現実になったとしても、自ら罪の意識を感じることはなく「あれは当時のファッションだった」と言うだけ。これを悪質と言わずして、一体何と言うのだろうか?

【追記】2019.6.23

(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>アメリカに生まれてトランプ大統領を批判し、
>日本に生まれて安倍総理を批判するような人の多くは、
>中国に生まれたら、
>中国共産党体制に恭順すると思いますよ??


 私もそう思いますが、当記事で述べているのは、記事の冒頭で「一部の日本人の反権力思想の正体」と書いた通り、あくまでも一部の反権力者についての考察です。「日本人の一部の反権力者」ではなく「反権力者の一部」という意味です。
 あなたが、

>「デモなら何でもいい人」というのも
>中には居るかもしれません。


と書かれていた通り、そういう人に限定した話でした。

>日本の左派が、
>香港のデモと、
>日本の反原発デモやアベ辞めろデモを一緒にするのは
>「区別がついてない」からではないと思いますよ?


 そういう人々がいるということも理解しているつもりですが、これもあなたが、

>中には「デモだから両方同じだ!」と言う
>頭がピュアすぎる人もいるでしょうが、


と書かれていた通り、そういう人に限定した話でした。
 あなたの言うところの反権力者は、私が述べた「思想を知った上で人を煽動する行為」をしている人に該当します。私が本記事で述べているのは主として「思想を知らずに人を煽動する行為」をしている人を指しています。

>「日本で安倍首相を批判すること」
>「アメリカでトランプ大統領を批判すること」と
>「中国で中国共産党体制を批判すること」は、
>「まったく意味が違う」のです。


 はい、その通りだと思います。少し誤解を招く書き方をしてしまったのかもしれません。

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posted by 自由人 at 08:34 | Comment(1) | 思想
2019年06月18日

「民主の女神」の御託宣で判る「デモ」の本質


■「デモ」は民主主義ではないのか?

 前回のブログ記事で、「デモは民主主義ではない」という意見をいただいたので、この件について少し書いておきたいと思う。

 一口に「デモ」と言っても、デモには大きく分けて“暴力(+罵詈雑言)を伴ったデモ”と“暴力を伴わない真っ当なデモ”がある。
 前者は“権力者の打倒”を目的としたデモであり、後者は“権力者の間違いを糾すこと”を目的としたデモだと言える。つまり、前者は“議論を伴わないデモ”であり、後者は“議論を伴ったデモ”である。

 議会制民主主義(間接民主主義)とは、選挙で選ばれた政党に国政を任せる制度のことを意味するが、何もかもを全権委任する制度ではない。よく考えれば、これは誰にでも理解できると思う。

 例えば、

 「来年から消費税を20%にします」
 「来年から最低賃金を2000円にします」
 「来年から定年制を80歳にします」
 「来年から選挙権は30歳からにします」


 いくら、選挙で選ばれた政党であるからといって、上記のようなことを勝手に決められては、ただの独裁政治になってしまう。政治を委任することと政策を委任することは似ているようで全く違う。正しくないと思える政策については異議を唱える。そして、その異議が全く届かないようなら、デモを行う。それは限りなく民主主義的な行為でしかない。

■「デモ」を否定するのは民主主義ではない

 「手続きが民意を反映してないと思われるからデモが起きる」と書かれている人もおられたが、消費増税は、いつ民意を反映したのだろうか? 消費増税の是非を問う選挙が、いつ行われたのだろうか?

 日本国内で報道されるデモは、「反政権デモ」という、単なるイチャモンを付けるだけのデモ擬(もどき)ばかりなので、日本で「デモ」と言えば、条件反射的に反民主主義的なデモを思い浮かべる人が多いのかもしれない。

 香港の切迫したデモが日本のデモ擬と同じように観えている人がいるのかもしれないが、香港のデモは先ほど述べた真っ当なデモだと言える。基本的に暴力は伴っていないし、民主的なデモのルールに則って、整然として行われているとも伝えられている。

 「民主の女神」と言われる周庭(アグネス・チョウ)氏は以下のように述べておられる。

>「改正案が可決されたら、これから香港はデモができなくなる場所になるかもしれないという気持ちを持っている香港人がたくさんいます。」

 図らずも、香港デモの行方を案じている彼女の言葉が、民主主義社会であればこそデモが行えることを物語っている。
 「デモは民主主義ではない」というのは周庭(アグネス・チョウ)氏の意見と真っ向から対立していることになる。

 現実を冷静に見れば、「デモを否定するのは民主主義ではない」というのが正しいと言える。
 無論、冒頭に述べたように、デモには2種類あるので、真っ当ではない反民主的なデモというのは有る。しかし、だからといって、全てのデモを十把一絡げに考えるのは間違っている。
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posted by 自由人 at 21:38 | Comment(0) | 国際問題
2019年06月17日

「香港デモ」に無関心ではいられない日本


■ある意味、日本よりも民主的な香港

 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正に反対するデモが大規模化し、世界中から注目が集まっている。
 総人口750万人と言われる香港でのデモ隊は遂に200万人規模にまで膨れ上がったそうで、実に住人の30%近くがデモに参加していることになる。(警察の発表では33万人)
 日々の生活も仕事もそっちのけでデモ活動を行っているということは、それだけこの問題が重要視されているという証拠であり、住民からすれば、肉を切らせて骨を断つデモということなのだろう。

 200万人という数字が香港の人々の切実さと真剣さを物語っているが、それに比べて、日本は、まるで「我々には関係が無い対岸の火事だ」と言わんばかりに太平の微睡みの中で眠り続けている。

 しかし、こういったデモを端で観ていると、日本よりも香港の方が民主主義的とも思えてくる。香港自体が、世界で最も裕福な人々が住んでいる地域でもあるので当然と言えば当然かもしれないが、日本以上に国民主権の重要性が浸透しているのが現在の香港だとも言える。
 その証拠に中国の一部では、随分前から以下のようなジョークが流行っていると言われている。

 「日本人と話すと共産主義が伝染る

 シニカルなジョークとしてなら笑えるが、これがジョークとは言えないところが笑えない。

 日本でも消費増税反対デモが数百万人規模で起こっても不思議ではないと思えるのだが、全く起こる気配がない。
 仮にデモが起こったところで、マスコミが官僚に忖度して「報道しない自由」を行使すれば、デモは起こらなかったことになる。

 香港では(逃亡犯条例改正の)「延期ではなく撤廃を!」を叫ばれているそうだが、消費増税も「延期ではなく撤廃を!」と叫ばれるデモが起こっても良さそうなものだが起こらない。香港の方が日本よりも民主主義的というのはこういうところにも現れている。

■香港デモの成否が日本の未来を決める

 香港は1997年にイギリスから独立し「一国二制度」が適用され、50年間は資本主義で暮らしていくことを(中国政府に)保証されている。
 50年間ということは2047年には社会主義に戻る可能性があるわけだが、今回の「逃亡犯条例」の改正もその伏線として用意されたものなのかもしれない。

 奇しくも今年は天安門事件から30年を迎える節目に当たる年なので、今回の「逃亡犯条例」の改正を認めてしまうと、30年後には中国共産党に呑み込まれる危険性(自由を失う危険性)を多くの香港人が潜在的に察知しているのだろうと思われる。
 おそらく、彼らの直感は正しい。そしてその直感が正しいのだとすれば、日本も他人事では済まない可能性が出てくる。

 現代は30年前と違って、天安門事件のような騒ぎを起こせば、世界中に情報(映像)が筒抜けになってしまうので、香港でのデモ制圧(虐殺)は起こらないと思うが、これが30年前なら第2の天安門事件になっていた可能性は否定できない。

 「一国二制度」が適用されている香港、マカオだけでなく、台湾にまで中共の魔の手が伸びると、その先にあるのは、尖閣諸島であり沖縄だ。そして更にその先にあるのが、我々の住む日本本土ということになる。

 中国(中共)が描く2050年までの国家戦略(占領計画)に日本が含まれているのかどうかは定かではないが、香港や台湾はまず間違いなく入っていると思われる。

 香港デモの成否は、日本の未来を映す鏡の役割を果たすことになるだろう。


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posted by 自由人 at 22:07 | Comment(0) | 国際問題
2019年06月14日

生徒を叱れない環境が「いじめ」を助長する


■「いじめ」を軽視している教育委員会

 大阪府吹田市の小学校で女児が複数の男児からいじめられていた問題の詳細が捜査関係者への取材で明らかになったらしい。
【参考サイト】吹田いじめ 加害の男児5人を府警が児相に通告

 2015年秋頃
   いじめが始まった

 2016年3月
   いじめが原因で足首を骨折

 2017年4月
   両親が教育委員会に調査を依頼

 2017年6月
   両親が大阪府警に被害届を提出

 2017年7月
   大阪府警がいじめがあったと児童相談所に通告
   児童相談所が加害者の少年5人と面談

 2017年8月
   両親が教育委員会に相談してから4ヶ月間放置した後、第三者委員会を設置

 2017年10月
   ようやく、いじめ調査を開始


 こうやって報道されている経緯を時系列で並べてみると、はっきりと判明するのが、相変わらずの教育委員会の怠慢ぶりだ。両親が相談後、半年も経ってから調査が行われるという有り様。これでは、いじめが有ったことを隠すことが教育委員会の役割だと疑われても仕方がないと言える。

■大人が鬼になって教えるべき「他人の痛み」

 しかし、まだ物心が付かない(物事の善し悪しが解らない)年齢だとはいえ、小学生の男児が5人で1人の女児をいじめるとは末恐ろしい…と言うか、おそらく、昆虫や動物を虐めているのと同じような感覚だったのだろうと推察するが、こういう生徒は彼らが大人になってから後悔するのを防ぐためにも大人がしっかりと監視しなければいけない。

 やって良いことと悪いことの違いは、大人が子どもに教えるしか方法がない。他人を傷付けることは悪いことだと言葉だけで解らないのであれば、残念ながら身体で教えるしかない。殴られれば痛いし、反抗できないことは悲しいということを大人が鬼になって教えなければいけない場合がある。

 しかし、現代の小学校は、体罰が禁止されているので、ビンタやゲンコツでもしようものなら、逆に教師が悪者として訴えられるようになっている。
 よく映画などで、刑務所の囚人通しが殴り合いの喧嘩になると、決まって、看守達が喧嘩を止めに入る。当然、止める時には警棒などを使用した暴力が伴う。ところが、現在の学校はこれができない。看守(教師)が囚人(生徒)達の喧嘩を仲裁せずに黙って観ているだけでは、怪我人だけでなく死人が出る危険性もある。

 こんな教育現場では「どうぞ好き勝手にいじめを行ってください」と言っているようなものかもしれない。まともに叱ることができずに、どうやって悪ガキを更正させることができるというのだろうか?
 「聖職者である教師は暴力を振るうことはできない」と言うのであれば、刑務所同様に、看守らしきものを常駐させるべきだろう。

■歪んだ自由が、未来の似非リベラルを作り出す

 昔から、未成年者は悪事を働いても少年法で過剰に守られていることが問題だとされることがあった。しかし現在では、そこにさらに輪をかけて、法律を悪用することが当然というような教育現場となっている。

 生徒に対する暴力は許さないということは理解できるのだが、悪いことをした生徒に対して“叱る”という意味での暴力も一切許さないとなると、生徒はその制度を悪用して、何でもやりたい放題の環境が出来上がることになる。そういう環境に慣れてしまった生徒は、「放埒」を「自由」だと思い込んでしまうようになり、学校は未来の似非リベラルを身籠ることになる。

 目の前で悪が為されていても、口で注意するだけ。口で言って聞かない生徒にはお手上げとなる。
 クビになることを恐れる教師は口を噤み、いつしか、生徒の悪事を見て見ぬ振りをすることが正しいという錯覚を覚えるようになっていく。これではまさに、いじめられている生徒にとっては地獄であり、教師にとっても悪夢以外の何ものでもない。

 “悪ガキはいない”という前提で組み立てられた理想論としての「体罰禁止論」が、皮肉なことに、いじめを拡大再生産する手伝いをしている。そういう負の側面にも目を向ける必要がある。

  
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posted by 自由人 at 23:27 | Comment(0) | 社会問題
2019年06月11日

「携帯違約金」まで下げる必要があるのか?


■「違約金を下げよ」というお達し

 少し前に「スマホの利用料金を4割下げよ」と言ったかと思えば、今度は「2年縛りの途中解除違約金を上限1000円にせよ」というお達しが出たらしい。
 スマホ利用料金を4割下げるだけでは、まだまだ足りないということなのだろうか。しかも、期限が今秋までということで、まるで消費増税の前に行わなければ意味が無いと言わんばかりだ。

 現在の途中解除違約金は9500円となっているが、この料金には、顧客の囲い込みという目的の他にも、諸経費等が含まれているのではないのだろうか? 大手携帯キャリアからすれば「2年間程度は同一機種を使用していただかないと採算が合わない」という意味で設定されている料金ではなかったのだろうか?

 まさか、単に客を逃がさないためだけに設定された料金ではないと思うのだが、今回の政府(総務省)の発表では、1000円に引き下げても誰も困らないというように受け取れてしまう。

■デフレ促進政策になる危険性

 昔、携帯電話(ガラケー)のみを使用していた時代は、携帯を買い替えてもほとんどお金がかからなかった(実際は基本料金に入っていた)ので、誰もが1〜2年サイクルで携帯を買い換えていたと記憶しているが、スマホが主流になってからは、そんなに頻繁に買い換えたりしないのではないだろうか? 2年縛りで困る(我慢できない)というようなヘビーなユーザーが一体どれだけいるのだろうか?

 政府(総務省)からすれば、単純に、違約金が1000円になれば、多くの人が別のキャリアに移動しやすくなるので、競争が促進されて更にスマホ利用料金が下がるという思惑があるのだろうけれど、政府が目標とすべきなのは、消費量の増大(=景気を良くすること)であって、商品価格を引き下げる(=デフレを進める)ことではない。単に商品価格を下げるだけであれば、デフレ促進政策になってしまう可能性がある。
 競争が促進されて消費量が増えればよいのだが、消費量が増えずに商品が安値化するだけでは、デフレがさらに加速することになってしまう。

 こう言うと、決まって、「携帯料金が下がれば、浮いたお金で他のモノが消費されるようになる」という理想論を言う人がいるのだが、何も消費せずに貯金してしまえば元も子もなくなる。そして、案外、そういう人は多いと思う。スマホには惜しみなくお金を遣うが、それ以外のものにはあまりお金を遣わないという人は大勢いる。

 現状、2年以内で頻繁に解約するような消費者はあまりいないと思われるので、違約金が急落しても、乗り換えはそれほど進まず、経済に与える影響も軽微だと思われるが、民間企業ばかりに仁義なき過剰な競争原理を持ち込むのであれば、少しはNHK受信料の値引きにも精を出していただきたいものだ。



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posted by 自由人 at 20:44 | Comment(0) | 経済
2019年06月08日

「追加関税」というブラフで勝利するアメリカ


■「無期限延期」となったメキシコへの追加関税

 メキシコからアメリカへの不法移民問題が一向に改善に向かわないとして、トランプ大統領はメキシコからの輸入品に5%の追加関税をかけると言っていた。しかし、3日間の協議の末に、両国間で合意に至ったため、追加関税措置は「無期限延期」となった。

 必要以上に大騒ぎしていたマスコミ報道とは裏腹に、大方の予想通り、メキシコ政府が折れた形となった。
 アメリカのリベラル(似非リベラル)は、「移民を受け入れないトランプ大統領は非人道的だ」として批判している。しかし、当然のことながら、移民には「合法的な移民」と「不法移民」という2種類が存在している。
 トランプ大統領が拒否しているのは後者の不法移民だけであり、合法的な移民まで拒否しているわけではない。
 しかし、日米ともにマスコミ報道では「不法」という言葉は強調せずに「移民が可哀想」というイメージ報道が為されるきらいがあるので、多くの人が「トランプは酷い!」と騙されることになる。

■不法移民を拒否するのは国として当たり前の行為

 国として不法移民を認めるわけにはいかないというのは当たり前の話である。例えば、北朝鮮からの脱北者が際限無く日本海を渡って日本に入ってくればどうなるかをシミュレーションすれば、よく解ると思う。
 幸い、日本は地続きの国が無いため、そのような問題は他人事で済んでいるが、海を隔てずに国の境界線しかない地続きの国が有れば、そうはいかない。国境には常にパトロールが常駐しなければいけなくなる。

 日本でも、飛行機や船で合法的に入国してくる外国人は多数おり、どこの国の誰であっても拒否させずに入国することができる。しかし、不法移民として入国することは許されていない。こんなことは国家の常識であって、アメリカがメキシコからの不法移民を拒否するのは当然の話なのである。

■トランプ大統領の脅迫外交は成功する

 メキシコからの不法移民が存在するということは、自らが生まれた(住んでいる)国を抜け出したいと思うほどに、メキシコが悪い国だと思われているということでもある。彼らは「脱北者」ならぬ「脱墨者」だと言える。国民から逃げ出したいと思われる国こそが悪いのであって、密入国される国(アメリカ)が悪いわけではない。

 そんなことは、当然、メキシコ政府も理解していることなので、不法移民問題では、メキシコ側に負い目がある。その痛い所を鋭く突いたのが、今回のトランプ大統領の脅迫外交だった。関税合戦になって困るのはメキシコ側なので、普通に考えても不法移民対策で合意するしか手は無い。

 中国政府も現状では関税合戦する強気な姿勢を見せているが、いずれ折れる(妥協案を提示する)ことになると思う。無論、トランプ政権が継続し続けるという条件付きで。

 しかし不思議なのは、日本から移民として他国へ抜け出したいという人がほぼ皆無なところだ。日頃から、あれだけ「日本が悪い」「政府が悪い」と宣っている人々の誰一人として日本を捨てて、アメリカや中国に移民として出て行かないのはなぜなのだろう?
 「日本が悪い」と言いつつも、内心では日本が住み易いと思っているのか、それとも、海外に出て行ってまで「○○国が悪い」と言う勇気が無いのかは不明だが、これも不思議の国ニッポンの謎の1つだと言える。


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posted by 自由人 at 23:24 | Comment(0) | 経済
2019年06月05日

「死ね」という言葉が不幸を生む


■2つの事件は偶然に起こったのか?

 「川崎市殺傷事件」を起こした犯人が事件後に自殺したことに対して「死ぬなら(一人で死ね)ばいい」と言う人が大勢いたとして、その冷酷な言葉が問題となった。

 ただ、この場合の「死ぬなら(一人で死ね)ばいい」というのは、「自殺を考えている人は(一人で死ね)ばいい」という意味ではなくて、「他人を巻き添えにするぐらいなら(一人で死ね)ばいい」というニュアンスだったことは言うまでもない。あくまでも「他人を巻き添えにする」という行為が伴った場合の話だった。

 「川崎市殺傷事件」の4日後、間髪入れずに、元農林水産省の事務次官が、ひきこもり(引き蘢り)の息子を殺害したというショッキングな事件が報道された。
 この事件では、ひきこもりの息子が殺された事件ということで、なぜか「ひきこもりは犯罪予備軍」というレッテル貼りのような言葉が喧伝されるようになった。

 しかし、これも「ひきこもりは(全員)犯罪予備軍」という意味ではなくて、たまたま、親の脛を齧って生活していたひきこもりのドラ息子が犯罪を起こす危険性があったというだけの話だった。

■シンクロニシティのような2つの事件

 「ひきこもり」とは、学校にも会社にも行かず、半年間以上、家族以外の人間と交流がない人のことを指すらしいが、一口に「ひきこもり」と言っても、様々なタイプがいる。
 何か悩み事があってひきこもりになっているタイプと、親が金持ちなので、働かなくても親が面倒をみてくれるタイプのひきこもりもいる。親の年金をあてにしたひきこもりもいれば、早期リタイヤした億万長者のひきこもりもいる。“受動的なひきこもり”と“能動的なひきこもり”は全く違う。

 息子をメッタ刺しにして殺害した元官僚の父親は「川崎の事件が頭をよぎり、周囲に迷惑がかかると思った」と供述しているという。
 その供述が本当のことなのかどうかは判らないので、現時点では鵜呑みにすることはできない。しかし、同時期に発生した今回の2つの殺人事件は、まるで、何か因果でもあるのではないか?と思わせるシンクロニシティのような事件だった。

 「死ぬなら(一人で死ね)ばいい」という言葉の曲解が、「ひきこもりは犯罪予備軍」という誤った認識を生んだとも言える。「他人を巻き添えにするぐらいなら(一人で死ね)ばいい」とするために、「ひきこもり(のドラ息子)は犯罪予備軍」として殺害されたのだとすれば、実に皮肉な話だ。

 この2つの事件を巡って、マスコミでもネットでも行き過ぎた理想論が飛び交っているが、「死ね」というような言葉の使用が、そもそもの不幸の始まりだったのかもしれない。こういう誤解を生んでしまうようなマイナス言葉は、なるべく使わない方がよいのかもしれない。


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posted by 自由人 at 22:37 | Comment(0) | 社会問題
2019年06月04日

「食料品値上げ」で軽減税率は無意味化する


■無意味化する「軽減税率」

 6月1日から、食料品などが一斉値上げされた。代表的な例を挙げると、日清の即席麺が4〜8%も値上げされたらしい。ちなみに、2015年1月にも5〜8%値上げされている。
 カップヌードルに限って言えば、2015年1月に170円から180円に値上げされ、2019年6月には193円となり、この4年間で13.5%値上げされたことになる。

 次の消費増税では、食料品等には軽減税率が設けられて消費税8%のままに据え置かれることになっているが、その影で食料品の税抜価格が消費増税分以上に値上げされている。ということは、軽減税率が無意味化しているということでもある。

 例えば、1000円の商品を例に考えてみると、

 ◆消費税が10%になった場合

  1000円×1.10=1100円(税収100円)

 ◆1000円の商品が1100円になった場合

  1100円×1.10=1210円(税収110円)

 商品価格が1割上がると、単純に考えても、税収自体が1.1倍になる。つまり、消費税が11%の時と同じ税収になるわけだ。

 ★消費税11%の場合

  1000円×1.11=1110円(税収110円)

■「泣きっ面に蜂」政策になっている消費増税

 商品価格がどんどんと安くなっていくデフレ社会では、消費税収も下がっていくことになるが、商品価格がどんどんと上がっていくインフレ社会になれば、消費税収も自動的に増えていくことになる。

 税抜価格が値上げされれば、それだけ消費税収も上がるわけだから、実質的に増税されているのと変わらない。家計収入がそれ以上に上がっているならともかく、これだけ米中貿易戦争やら、ファーウェイショックやらと先行き懸念が騒がれていると、企業も、おいそれとは給料を上げるわけにはいかないだろう。

 こんな状況では、増税ではなく、むしろ、減税を行うことが望ましいのではないだろうか?
 食料品が4%以上も値上げされるのであれば、消費税は逆に引き下げることが望ましい。消費税0というのは流石に無理があるが、個人的には「消費税8%は失敗(時期尚早)だった」と認めて、現行の半額である4%程度にするのがベターだと思う。

 商品価格が上がると自動的に税収は増加する。わざわざ増税しなくても税収は増えるのである。
 そんな状況下で、更にまだ消費税を上乗せするというのだから、消費者にとっては、踏んだり蹴ったりであり、まさに、「泣きっ面に蜂」政策だと言える。
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posted by 自由人 at 20:52 | Comment(0) | 経済